映画「天気の子 Weathering With You」感想 こどもっぽさへの讃歌

 今日、「MAZDA3」が納車になった。誕生日おめでとう!!

 

 運転の練習を兼ねて、すぐ近くで見ることができるのにもかかわらず、1時間近くかけて遠くの映画館まで見に行ったよ。バックで駐車するとき、何回も切り返して駐車場に渋滞を生んでしまったのは秘密です。車でやらかしているときのあの独特なプレッシャー、こえーっすよね……


 さて、新海誠の最新作「天気の子」、見てきましたよ。以下雑に感想、ネタバレあり。









 雨が降り続く新宿、そんな形容では足りないくらいの雨は、そこに暮らす人々を確実に鬱々とさせていた。しかし、そんな中1人、東京へ向かうフェリーの上で雨に喜ぶ少年がいた。主人公の高校1年生・帆高。そしてかれは「100%の晴れ女」・陽菜と出会い、「世界の形を変えてしまう」……


 新海誠の描く画はやはりとても綺麗で、どこで切り取っても一枚絵になってしまうほど。憂鬱な「雨」と気分の上がる「晴れ」の性質が映画だと逆転しているのはやはり、画の力なのだろう。「雨」の降り続ける新宿、水没した新宿はとても美しく、また、カンカンと晴れた新宿はどこか憂鬱だった。


 帆高にとって「雨」が迎えるべき事象となるのは、ヒロイン・陽菜の存在である。母の喪失と引き換えに鳥居で「強く願った」結果天気を操る能力を手に入れた彼女は(願ったことは「お母さんと晴れた日に二人で歩きたい」)、彼岸とも現実の別世界とも形容される「空」とつながってしまう。帆高に「18歳」と実年齢より3歳も背伸びしてしまうような子供であった彼女は、帆高との交流の中で雨降りしきる中、その能力を使い求められた場所を局所的に天気にすることによって、自分の居場所を見つけていく。


 陽菜の存在は何度も天気をコントロールすることによって、空から降ってくる「雨」に保証されていく。「雨」が降っていれば陽菜は存在でき、止んでしまえば陽菜は空へと吸い込まれていく。陽菜の存在を守るために帆高の行う決断とは。


 鳥居をくぐり「強く願った」陽菜は二つの願いを願った。「母の生存」と「晴れの日」とを。しかし、叶えられたのは「晴れの日」のみで、母は喪失される。本当に叶えたかった方こそ叶えられなかった陽菜にとって「100%の晴れ」など不要だし、人智の及ばぬ存在からの恩寵は理不尽で迷惑極まりない。さらに、この世界の天気を一身に背負わせられるのだからたまったものではない。陽菜はただひたすらに運命に弄ばれる。弄ばれ続ける。


 対照的なのは帆高だ。帆高はその出自からして自身の決断を担保に行動をする。閉鎖的な島からの脱出、陽菜との逃避行、発砲、そして、あの最後の決断。なんとなくヘタレに造形されている帆高だけど、彼はじつは自分から動ける子なのだ。そんな彼に天は陽菜へもう一度会って一緒に乗ってこれる往復切符を与える。


 二人は子供なのだ。むかし、子供から否応なく大人へと変化せざるを得ない状況と、その尊さを思ったことがあった。

しかし、「天気の子」は、いつまでも子供でい続けることを肯定していると言える。帆高の「決断」は確かに自分の「決断」だが、そのすべてが青臭い。リーゼントの刑事が盛んにつぶやく「クソガキ」「面倒だな」等の帆高に対する感想や、陽菜に会うために電車の走らない線路を駆ける帆高を見て嘲笑する一般人を見れば明らかだし、なんなら映画館で鑑賞しているぼくたちも「うわー」とドン引きしていること必至である。


 そんな「こどもっぽさ」を、突き詰めていくとどうなるのか。こうなるのだ。世界が水没したって「大丈夫」だし、好きな女の子と脇目もふらず抱き合える。「こどもっぽさ」(それは「まっすぐさ」と言い換えることもできるかもしれない)は大人がなくしたものだから、もしくはとりあえずなくしたと思い込んでいるものだから、何人か感化される大人がでてくるのかもしれない。なくしたものを「まっすぐ」取り返しに行く姿は、なくしてしまったことを諦めている大人にとってはまぶしいのかもしれない。


 たった1人の女の子のために「世界の形を変えてしまった」彼らは、周囲の人たちに多大な迷惑を被ったことになる。警官たちに拳銃を突きつけられた帆高の「ほっといてくれよ!ぼくたち迷惑になるようなこと何一つしてないじゃないか!」という魂の叫びは、結局「ほっといたら確実に迷惑のかける存在になる」という予測がついてなかった、という意味で「こどもっぽい」叫びだったわけだ。だけど良いな、と思ったのは、他人に多大な迷惑をかけたところで世界(社会?)はなんだかんだとうまく回ってしまう(たとえば列車の代わりに船が運航していたりだとか、それを利用する人々の楽しそうな笑い声だとか)とこの映画が言い切っている所で、人に青臭いだのガキだのいわれようが決断してしまっていいんでねーの、やりたいことやりたいようにやりなよ、みたいなメッセージをぼくは受け取ったのでした。


 すでに大人になってしまっていたぼくにはもうできること、ないのだろうな。

0コメント

  • 1000 / 1000