任天堂ソフト「ゼノブレイド2」ネタバレ感想 子供と大人、そして子供から大人へ

 160時間プレイした。16日間で。

 ネタバレあります!!!核心部分に触れます!!!

プレイ後もしくはプレイする気のない人のみ読み進めてください!

いやまあ、ラスボスがだれで、結末がこうだようふふ、みたいな性根の悪いことをしようとしているわけではなく、ゲームをプレイしていて初めて泣いちゃったのね、だからその良さを語りたいのね、そうすると結末に触れざるを得ないのね、だから許してほしいのね。警告はしたのね、よろしくお願いします、、、、、



















「ゼノブレイド2」は2010年に発売し好評を博した「ゼノブレイド」のナンバリングタイトルである。「ゼノブレイドクロス」、、、???ああ、あいつならWiiUと一緒に雲海に沈んだよ

以下、公式HPよりあらすじ引用。


見渡す限りの白――
天空にそびえ立つ「世界樹」を中心に広がる雲の海。
それが、オレ達の暮らす世界「アルスト」だ。

この世界ができる遥かな昔、
人は世界樹の上に住む創世の「神」と共に暮らしていたという。

天空に築かれた豊穣の大地。
昼を夜に、雨を晴れにすることもできる理想郷。

人はそこを「楽園」と呼んでいた。

だけどある日、人は楽園を追われた。
理由はわからない。神の怒りに触れたからなのか、それとも別の何かなのか――

楽園を追われた人はアルストに移り住んだけれど、
長く生きることはできなかった。
人が滅亡に瀕した時、憐れに思った神は自らの僕――
「巨神獣(アルス)」をアルストに遣わし、人を救った。

生き残った人は巨神獣へと移り住み、幾万ものひると夜を共に過ごした。

その巨神獣が 今、死に絶えようとしている。

そして「楽園」を目指す旅が始まる――。

詳しいことは以下のトレーラーをみてくだしい。

(説明になっていない、、、???)

何はともあれ、公式HPによるとこのゲームのストーリーは「ボーイ・ミーツ・ガール&ジュブナイル」である。この部分が非常に素晴らしい。ここに力をいれて今回は言葉を紡ぎたい。この「ゼノブレイド2」、ファンタジーの皮を被ったサイエンス・フィクション(しかもかなりしっかりした)だし、なにしろ戦闘が楽しく、ゲーム性という点でも僕は大満足だったのだけれど(UIは見づらい)、ゲーム性への言及は、多くのゲーマーが行っていることであり、僕はそこを語れるほど多くのゲームをプレイしているわけではなく、他の人に譲る。


というわけで、ストーリーに言及していきたいのだが、その前に。総監督・高橋哲也氏によると、ゲームシステムからの要請で成立と言っていた(4gamerのインタビュー記事参照)ドライバーとブレイドの関係。


ドライバーがいわゆる人間で、ブレイドがいわゆる……ポケモン?みたいな。おこられそう。


ドライバーとブレイドは運命共同体であり、ブレイドはコアクリスタルと呼ばれる結晶と人間(=ドライバー)が「同調」することによって誕生する。ドライバーである人間は、当然死ぬ。しかし、ブレイドは永遠の命を有している。ブレイドはドライバーとエンゲージすることによって非力な人間をサポートすることができるのだ。


そんなブレイドは永遠の命を有しているものの、同調しているドライバーが死んだとき、もしくは自身のコアクリスタルが攻撃された時、コアクリスタルに戻る。そして新たなドライバーとの同調の日を待つのだ。その循環の繰り返しで、ブレイドは記憶を引き継ぐことはできない。すなわち、同調していたドライバーとの絆を保持し続けることができない。この辺の事情が、物語の根幹に大きくかかわってくるのだが、今回まとめるのもこのことではない。


前置きが長くなったが、今回のテーマは「子供/大人、そして子供⇒大人」だ。


「ジュブナイル」もの(今はあまり使われない言葉だけど)では当たり前だけれど、主人公はティーンエイジャーである。初期からプレイアブルできるキャラは、サルベージャーとして生計を立てていたものの、ひょんなことから「天の聖杯」のドライバーになることを強いられた主人公・レックス、秘密結社イーラの一員として暗躍していたものの、イーラのやり方に疑問を持ちレックスと共に楽園を目指すことになったグーラ族の女の子・ニア(猫耳!!本物!!)、ドライバーに憧れていたもののその資格がなく、しかしその夢を諦めず人工ブレイドを作り出したノポン族のトラの三人。


レックスのブレイドは「天の聖杯」と呼ばれ、500年前の対戦で力を行使し、いくつかの巨神獣を沈めた張本人。その力を封印するためにながい眠りについていた。レックスとの同調(?)により、ホムラと呼ばれている。お姉さん。おっぱいがでかい。ニアのブレイドは動物型のブレイド・ビャッコ。ニアをお嬢様と呼び、見守っている。ここでの両者の関係は、ブレイドが保護者的な立ち位置であるが、、、


「強いゆえに弱い」という欠陥を持つホムラがレックスの子どもゆえに持つ無鉄砲さと素直さ・まっすぐさによって、すべてを受け入れるという、ホムラ側の物語もすごくよかったのだが、ここではあくまでレックスに注目したい。レックスに与えられた特性は先述したように、子どもゆえに持つ無鉄砲さと素直さ・まっすぐさである。この事実はレックスも自覚的で、自身のことを「前向き」と事あるごとに称していることからも窺えるだろう。


この点について高橋総監督はこのように語っている。

既にプレイされた方は気づいているかもしれませんが、「行くよ!」がレックス君の口癖。
言葉通り彼は常に前へ前へと進みます。
後ろなんて振り返らない。(中略)
今は色んな情報が飛び交ってしまっていてとても窮屈。
臨むと望まざるとにかかわらず暗い世界がすぐ傍にあって見えてしまう。
希望なんていうカビ臭くて陳腐なセリフは流行らないし現実的じゃない時代。
そんな時代だからこそ、レックス君みたいなヤツがいてもいいじゃないか?ってね。

――公式HP「プロダクションノート」より


そんな前向きなレックス、目の前の違和感を素直に表現できるレックス、それは確かに、「大切なもの」を「心で見」ていた。


また、たびたび挿入されるムービーにてレックスたちが”子供である”ことを強調していることにも注目したい。

――イーラの大人にガキ呼ばわりされて反発するニア

――コアクリスタルを統括するアーケディアのトップ、マルベーニのレックスたちへの評価


これらには(これだけではないけれど)”子供であること”の論理がある。子供側の「子供だからってバカにして!!!」という反発、「相手は子供なんだから手加減しろ!」という甘え、大人側の「首を突っ込むな」「所詮この程度か」などの見縊り。お互いの共通点は、”子供であること”が理由になっていることだろう。後者の大人側の言い分はわかりやすいが、子供はえてして、自身が子供である事を最大限に使って庇護に入ろうとする。”子供であること”の枠組みは、時に傍観者にさせ、そして便利だ。


しかし、傍観者ではいられなくなったレックス(=ぼく)達は、そんな”子供であること”から訣別しなければならない。

前だけを向き続けたレックスが一度だけ後ろ向きになる場面がある。

――自身のブレイド「ホムラ」をイーラの者に奪われ、一人静かに泣くレックス


「ゼノブレイド2」の優れているところは、高橋総監督があんなことを言っていたのにもかかわらず、”前だけ向いて突っ走っていてもダメ”という物語を入れ込んでいること。


イーラのトップ、シンに「お前は弱い」「お前は俺には勝てない」と切り捨てられ、「楽園へつれていく!」と約束したホムラを奪われてしまう。ここで、レックスは自身の特徴(=前向き・素直さ・無鉄砲さ)を全否定されてしまうのだ。いわゆる苦難であり、そして試練でもある。


その試練を乗り越えることこそが成長なのだ。レックスはその試練を乗り越え、改めて「前向きさ・素直さ」を獲得するわけだが、それは見た目は同じでも、その内実は全然違うだろう。そして、それが子供と大人を分けるものであるはずだ。何がなくとも信じられた自分の特徴を反省し内省し、そしてそれをもう一度獲得し直す。それができた時、その人はもう大人なのだ。

――ホムラ、レックスへの別れのセリフ


人は多かれ少なかれ、意図せずともこのような試練を乗り越える。その時期は多くは思春期と呼ばれる時期であろう。しかし、”子供であること”は便利だから、その身分を手放したくはない。そのようにすでに大人になってしまっているのにもかかわらず、”子供であること”に執着するのが子供から大人への過渡期なのではないか。


ホムラはレックスがすでに大人であることを看取し、「一人で大丈夫だね」と別れを告げる。それを受け入れた時、同時にレックスは自身が大人であることを受け入れるのだ。

――決意に満ちたレックス


この時代、自分が大人であるということを受け入れるのは難しい。と思う。なにしろ子供である方がメリットが大きい。たくさんの人に守られ、そしてやんちゃなことをしても「子供だから」と許される余地がある。そして(僕にとって)なにより、子どもの方が感性が鋭い、とされている。


しかし、自身が”子供であること”を利用し、誰かを非難したり、自己を正当化する人は、逆説的だが、すでに”子供ではない”。そういう風に利用することは”子供であること”のズルさに自覚的であって、とすると”子供であること”をその人はメタ化することができていて、そのメタ化はおそらく、先述の試練を乗り越えたからこそ獲得できたものである。


大人になるとはとてつもなく簡単で、そしていつの間にかなって(しまって)いるものなのではないか。試練というと大げさだけれど、たぶん、そんな大それたことではないのだろう。むしろむずかしいのは、大人になることではなく、大人であることを受け入れることの方ではないのだろうか。


そしてそんなとき、自分が大人であることを受け入れるためには、周囲の大人が必要なのだ。

――インヴィディア烈王国の傭兵、ヴァンダムのレックスへの言葉

――ホムラとの別れを受け入れられないレックスに言葉をかけるジーク


「いつまでも子供じゃいられない」この言葉は重く、苦しい。しかし、レックス・ニア・トラという子供のパーティに加わった大人として、いつかは言わなければいけなかったセリフに違いない。これを言われた時、レックスがしっかりと受け入れることができたのは、彼らを見守る大人たち、ジーク・メレフ・ヴァンダム・英雄の幻影がしっかりとレックス達に道しるべを与えていたからだ。


序盤あれほど”子供であること”が強調されていたシナリオムービーも後半ではそれは鳴りを潜める。それはレックス・ニア・トラの三人がしっかりと大人へと駆け上がり、そして受け入れていったことの証左だ。

――三人を見守るジーク(左)とメレフ(右)


「いつまでも子供じゃいられない」、その通りだ。だから、すでに大人である僕は何をすればよいのか。その答えはこのゲームで語られている。大人であるとはいかなることか、教えてくれている。それはどんなに舞台が変わっても普遍的なものなのだ。

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