僕やあなたの上に広がる空のもっと上、そこに深遠に広大に存在する宇宙。もはや、現代人はその宇宙にしか未知を、ロマンを、異世界を、感じることができなくなったのかもしれない。地球上には人類に未開拓な場所など存在しないのだ。昔の西部劇はアメリカという新大陸の西を制圧していく男たちの物語だった。今はもう、「西側」は存在しない。その「西側」に匹敵する存在は宇宙しか存在しないのだ。
というわけで、『星のダンスを見においで』の感想です。分冊二冊なので(『地球戦闘編』と『宇宙海賊編』)それぞれのあらすじと、第一巻の『地球戦闘編』の冒頭を引用。
〈地球戦闘編〉
西銀河に悪名を轟かせた宇宙海賊ジャックが姿を消して18年。足取りを追う、かつての部下たちは辺鄙な後進惑星にたどり着いた――この地球に。しかも時は現代。骨董品屋を営むジャックは彼らの所構わぬ攻撃を喰らい、横須賀沖に隠しておいた宇宙艇で再び宇宙へ飛び立った――事情を知るよしもない女子高生の唯佳を乗せて。
〈宇宙海賊編〉
復活した宇宙海賊ジャックの行く手を阻む、中央星系連合の最新鋭艦隊。彼らの目的は、ジャックを育てた”笑う大海賊”が、銀河のいずこかに遺したという秘宝を探し当てること。そして宝の隠し場所を知るのはジャックただひとりだった。圧倒的火力を誇る連合艦隊を前に、ジャックは一匹狼ぞろいの名うての宇宙海賊たちを呼び集めるが――。大宇宙の海に繰り広げられる大艦隊戦!
「西の22に跳んだボイラー・メーカーより緊急入電!ヴァイパー発見。繰り返す、ジャンピング・ジャック・フラッシュのヴァイパーを発見!」
「本物(マジもん)か!」
それまで船長席で居眠りを決め込んでいたアレックス元副船長が跳ね起きた。「識別信号(シーカー)、艦型(シルエット)一致してます。熱源反応(IRパターン)も確認、ボスのヴァイパーに間違いありやせん!」
「ボスじゃねえ!」
アレックスは、付き合いの長いオペレーターを一喝した。
なにしろこの作品、読んでいて正直ワクワクが止まらなかった。息をつかせぬ戦闘の数々に始終興奮しっぱなし。読みながら鼻息が荒くなるってもんよ。血沸き肉躍る戦闘の数々!いや、血沸き肉躍る、ではなく、レーザー沸き電波躍る、といった方が正しい。それは全て戦闘機同士の戦いだからだ。自分の身体を直接用いた戦闘はほぼ、ない。「コマンドー」的な興奮はありません。
やっぱ僕も男の子なのよ。なにせ保育園の頃の夢はパイロット。そんな僕が、戦闘機や戦艦に惹かれないわけがない。なんで男の子は戦闘機や戦艦が好きなの?まさに愚問。好きだから。生まれた時から好きであるように遺伝子に組み込まれているに違いない!
繰り広げられる臨場感のある戦闘シーンは圧巻の一言。そしてその妙なリアリティの高さは「解説」で堺三保さんが仰られている通り、「かっちりと書き込まれた「架空のシステム」についての操作手順であり、それを駆使する人物の論理的思考法にある」。
宇宙空間での対艦戦は、互いに前面投影面積が最小になる艦首同士を正対させたまま接近していくのが基本である。有効射程内に入ったところで交戦開始、すれ違うころが最も激烈な射ち合いとなる。この基本形は、マストの上で見張りが目を凝らしていた帆船時代から宇宙時代まで、たいした変化はない。
そして、戦闘がルールのないゲームである以上、セオリーに従わない戦法も存在する。敵に対する面積を最小にすべき敵前であえて側面を向け、艦に装備されるすべての火器を戦闘に投入する、いわゆるTターンである。被発見率や被弾率はあがるが、艦首から艦尾に至るまでのすべての火器が使用可能になるため、攻撃力も最大となる。
といったように、この緻密なまでの戦闘への考察が、本作を荒唐無稽な一笑に付すような小説ではないものとしている。現代の戦闘機同士のドッグ・ファイトや大航海時代の船同士の戦闘と地続きな宇宙空間の戦闘は読者に「本当にありそう」と思わせる説得力があり、それにより、さらに描かれている宇宙空間に引き込まれていくのだ。
女子高生・冬月唯佳の存在も無視することはできない。いわゆる”巻き込まれ”系ヒロインなのだが、彼女の本作におけるポジションはかなり重要だ。
一つは、説明をさせる役。読者である我々と一番近い距離感に存在するトツキちゃんはもちろん宇宙のことなんて全然わからない。戦闘機の操縦の仕方や、戦闘の仕方なんてのももちろんわからない。そんな彼女に海賊のプロ、ジャックやアレックスが説明していくのだが、トツキちゃんがいることによってその説明が浮いてしまうことがない。RPGなんかでよくあるプレイヤーに向けた「ここでAボタンを押すと~~」みたいなあの説明への違和感を解消できる。
そして二つ目。それは日常と接続するという役目だ。
節目節目に挿入される高校生活の日常。トツキちゃんは宇宙という非日常と、高校という日常を行ったり来たりする。日常に必ず帰る、という強い意志がトツキちゃんにはある。そこが重要だろう。
機会ごとに挿入される日常によって、むしろ宇宙で繰り広げられている非日常があたかも存在しているかのような錯覚に陥る。ぼくたちは宇宙への夢物語をかたる。本作を読んでいる途中、そして読んだ後、その夢物語をすこし信じることができるようになるのだ。または、未知への楽しみを、ロマンを、現代人に思い出させてくれる。だんだんと宇宙(そら)に魅入られていくトツキちゃんと一緒に宇宙に魅入られていく僕たち。その経験がワクワクしないはずがない。
日常と非日常を軽やかに行ったり来たりすることのできるのは女子高生にしか成し得ない技なのかもしれないと結ぶのは、女子高生という存在を神格化しすぎているのだろうか。そんなことはないだろうと、ぼくは思う。論証しろといわれたら降伏するしかないけれど。
最近は異世界物が流行っているらしい。日常と一切が断絶した世界でのし上がる物語。それも一つの小説の在り方だと思うが、日常から始まる小説はその描かれている日常と地続きな物語が読みたい。それこそが、リアリティを担保し、荒唐無稽な物語にしない条件なのだと、ぼくは信じる。
魅力的なキャラクターに囲まれながら、一緒に宇宙を股にかけ、秘宝を追うその読書体験は必ずやあなたに童心に帰るきっかけと大きなワクワクと大きな夢を授けてくれることでしょう。
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