今日、最終話を見た。よかったので、すこししたためておこうと思う。以下あらすじ。
歴史ある芸能プロダクション「346プロダクション」には数多くのアイドルが在籍している。
そこで新たにスタートする「CINDERELLA PROJECT(シンデレラ プロジェクト)」!
普通の毎日を送っていた女の子。
アイドルの卵に選ばれた彼女達が、初めて見る世界で紡ぐシンデレラストーリー。
みんなと一緒にお城へと続く階段を登っていく事が出来るのか。
今、魔法がかかり始める――
あらすじ、画像共に公式ホームページから。末尾にURLは貼っておきます。
もともと、「アイドルマスター」は2005年に稼働開始したアーケードゲームであり、人気を博した。ニコニコ動画にも”御三家”の1つとして、ジャンル分けされている。それだけ、このコンテンツに対するユーザーが多く存在し、住み分けが必要とされたからだ(他の二つはボーカロイドと東方プロジェクト)。
その本家の「アイドルマスター」がアニメになったのが2011年。半年間アニメ放映が続いた。それがさらに好評を博し、当時流行っていたソーシャルゲーム化。それが、モバゲーで配信された「アイドルマスター シンデレラガールズ」である。
アニメ「アイドルマスター」を見て面白いと感じた僕は自然な成り行きでソシャゲ版「アイドルマスタ― シンデレラガールズ」をダウンロード。しかし、ソシャゲ特有のゲーム性の無さ、金がもの言わせるその世界、体力性による時間の制約など、僕にとって苦痛でしかないゲームシステムに飽き飽きし、すぐに放置してしまっていた。
そんなソシャゲ版「アイドルマスター シンデレラガールズ」から生まれたアイドルたちを主人公とするアニメがこのアニメ「アイドルマスター シンデレラガールズ」である。よって、ソシャゲ版の発展に寄与した課金戦士たちのおかげで、こうして僕はアニメを見ることができているわけである。課金戦士に、敬礼!
本アニメで中心に据えられているのは14人の女の子たち。島村卯月、渋谷凛、本田未央、赤城みりあ、アナスタシア、緒方智絵里、神崎蘭子、城ケ崎莉嘉、多田李衣菜、新田美波、双葉杏、前川みく、三村かな子、諸星きらりの14人。彼女らのアイドルになるまでの軌跡を描く。
そう、彼女らは記号でしかなかった。上記の名前の羅列のように。ただタイプの違うかわいい女の子たち。名前とデザインだけのキャラクターとして生み出された。それが、ソシャゲ版「デレマス」が発展していくにつれ、名前とデザインだけのキャラクターにボイスが付き、それぞれのキャラの曲が作られ、性格や個性がどんどんと肉付けされていった。ユーザーが二次創作として彼女らの物語を紡がれた。しかし、それは、断片的なものでしかなかった。
それが、今回のアニメ化により、公式に彼女らに”物語”が付与されることになる。ビジュアルや歌、セリフなどの断片的な物語を一本の物語になったとき、彼女らはどのような姿を見せるのか。
そんな経緯があるからだろうか、かなり丁寧に脚本が作られていた印象。もともとの彼女らの印象を深めるという方向で、ユーザーの認識にズレることなく、そして意外性を持たせる、という難題にチャレンジしていたのではないだろうか。そして、それは成功したといっていいだろう。
アイドルとしてデビューするまでの苦悩と喜びを描いた前半。デビュー後、アイドルとしての成長を描いた後半。アニメを見れば各人の信念、悩み、葛藤が身に迫って感じられ、その葛藤の解決に相当のカタルシスを感じることができる。
中心的だったのは、島村卯月、渋谷凛、本田未央の三人。中でも、島村卯月だろう。
卯月を描くためのアニメだったといってもいいと思う。このアニメのメッセージとして、冒険や挑戦は、その先に何が待ってるかはわからないけれど、新しい景色であることはまちがいない。だから、積極的に冒険してみようよ。的なことが読み取れるわけだが、卯月にはその冒険や挑戦をする動機をなかなか見つけ出すことができない。むしろする必要がなかった。だからこそ、ぶれない卯月は前半でシンデレラプロジェクトの精神的支柱に(無自覚であったにしろ)なりえたのだろう。
そんな卯月の、強いはずの卯月の、悩みや葛藤を長い時間をかけて浮き彫りにしていた、そして自覚的に前を向くことができるまでを描いた、という視点に立てば、このアニメは、卯月のための物語だ。
人はみんなキラキラできる。彼女たちはステージの上で。僕たちは客席で。立場の違いはあるにしろ、キラキラしていることには変わりないのだ。人はみな、星のようにキラキラしたいからこそ、頑張れるんだろう。彼女たちのように。
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