住野よる作『君の膵臓をたべたい』感想

 僕はやはり恋愛小説を読むのには向いていない。恋愛というと語弊があるか。人間関係を特にクローズアップさせた作品を読むのには向いていない。SF的なガジェットやミステリ的な仕掛けで中和されていたり、そんな主題が読み取れる、くらいだとちょうどよく読めるのだが、まっすぐに真摯に伝えられると、僕のキャパをオーバーしてしまう。伝えたいことが明確で、それがまっすぐ文章に乗っているから、少しひねくれた(と思いたい)僕は耐えられないんだろうなあ(遠い目)。


 そんなまっすぐで、とっても力強い小説を友達の薦めで読むことになった。その名も『君の膵臓をたべたい』。以下あらすじ引用。


ある日、高校生の僕は病院で1冊の文庫本を拾う。タイトルは「共病文庫」。それは、クラスメイトである山内桜良が密かに綴っていた日記帳だった。そこには、彼女の余命が膵臓の病気により、もういくばくもないと書かれていた。こうして、偶然にも【ただのクラスメイト】から【秘密を知るクラスメイト】となった僕。まるで自分とは正反対の彼女に、僕は徐々にひかれていった。だが、世界は病を患った彼女にさえ、平等に残酷な現実をつきつける――。全ての予想を裏切る結末まで、一気読み必至!


 あらすじからもわかる通り、決してカニバリズム的なホラー小説ではありません。ご安心を。しかも、このタイトルはこれでしかありえないことが、読めばわかる。


 もともと、小説投稿サイト「小説家になろう」で連載されていたものらしく、それを出版社の編集さんが見つけて晴れて書籍化、という流れらしい。才能の発掘は現在進行形で様々な物を介しながら、行われているのだなあと感じられ。ここら辺はネット社会の妙なんだろうか。


 冒頭が葬式のある、という場面から始まるのがとてもズルい。僕たち読者はこれから主人公を介して出会う女の子が、必ず死んでしまう、という「終わり」を感じながら、読み進めることを強要されるからだ。主人公と桜良はふとしたきっかけで「仲良し」になり、急速に仲を深めていく過程においても、僕たちはこの二人を素直に祝福することはできず、この後に待ち受けるだろう主人公の別れに切なさを感じずにはいられない。ズルいと言わずして、なんと言おうか。


 そして予定調和的(予定調和とはいってない)に訪れる別れ、すなわち死に、予定調和的に僕たちは涙を流すのだろう。予定調和だろうが関係ない。泣けるものは泣けるのだ。ガツンと心が揺さぶられるのだ。策を弄するよりはるかにずっと。


 なんといっても、ヒロイン、山内桜良ちゃんがとっても可愛いのである。男(いや童貞か?)の妄想を具現化した理想の女子高生像なのかもしれないが、いや、帯を見る限り、女性読者の支持も年齢を限らず幅広く受けているようだし、誰が読んでも可愛いのだろうか、ブツブツ、、、、、、ともかく、読んでて恋しちゃうほど可愛い。それだけにやがて訪れるだろう死が辛い。君の膵臓をたべたい。


 二人が「仲良し」になったのは必然だ。作中でも主人公が言っている通り、自分で選んだ結果なのだから。だれもがみんなだれかと「仲良し」になれる。でも、こんな小説を読むたびに思うのだ。僕は主人公に不躾な視線を送る側なのではないのかと。教室にいる特徴も記されないような取るに足らない人間なのではないのかと。そんな空恐ろしい想像をしてしまう。


 人生の主人公って誰だ。そんなの僕に決まってるだろ。そう必死に言い聞かせている。


 二人はもう眩しすぎて、ぼくはまともに直視できません。

追記

アンチ・恋愛小説として、こちらをお勧めします。

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