Twitterで大森望さんが大絶賛していた本作。手に取ってみた。以下、あらすじと冒頭引用。
高校入学七ヶ月目のある日。些細な失敗のためクラスメイトから疎外され、”幽霊”と呼ばれているぼくは、席替えで初めて存在を意識した同級生にいきなり話しかけられた。「まだ、お礼を言ってもらってない気がする」――やがてぼくらは誰もいない図書室で、言葉を交わすようになる。一方、校舎の周辺では小動物の死骸が続けて発見され……。心を深く揺さぶる青春ミステリの傑作。
ぼくの席は窓際の最後列にある。毎朝、ぼくは始業時間ぎりぎりに後ろの出入り口から一年A組の教室に入り、気配を殺してそっと席に着く。誰とも挨拶を交わさないし、誰一人として僕を振り返らない。黒板の上の古びた四角いスピーカーから流れる始業のチャイムを聞きながら、早々に窓の外に目線を逃がして、担任がやってきてホームルームが始まるのをじっと待つ。
青春ミステリと銘打たれているものの、青春>>>>>>ミステリといった感じ。なので、ミステリを読みたい!と買うと、期待外れになるかも。しかし、ミステリとして、不整合は一つもない。ズルい、と感じるところはあるけれども。
”幽霊”となってしまった主人公一居士架と、席替えによって”幽霊”の固定席の前になってしまった玖波高町。その高町が架に声をかけることで物語が始まる。
主人公架君が、等身大で、非常に良い。高1なんだけど、だからこそ、非常に初心。うぶ。〈無気力系〉が大流行りの昨今、そこがいい。関心がなさそうに見せかけつつ、チラチラと自身を”幽霊”扱いするクラスメイトを気にする様子、高町の一挙手一投足の全てが気になってしまう高校生男子。
いいではないか、いいではないか。
青春小説ってのは、「力み」が描かれているといいのかなあなんて最近思う。大人になるってことは、力のぬき方がわかること、なのかな。
力まなければいけない時と、力まなくともいい時。年を取った僕たちは何事にも「力み」、一生懸命な姿を見るといたい、苦しい、そして羨ましいという気持ちが溢れ出る。
文化祭の準備を一生懸命やらないスクールカーストの上位のやつらも力んでいるのだ。”やらない”ということに。やらないと決めたら絶対にやらない。そんな一生懸命さ。
だから、子どもであるうちは思う存分力むことができる環境にいなければならない。その環境が適切に用意できないとなると、悲惨だ。この物語の高町のことである。
高町はこの物語の登場人物の中でかなり普通じゃない。等身大じゃない。日本の学校のクラスが舞台として想定されている以上、そこに蔓延する同調圧力は確かに存在する。だから、幽霊扱いされている架を何の打算もなく話しかけられるはずがない。しかし、高町はそれができるキャラクターとして造形されている。
まさしく、架にとって高町はヒロインとなったわけである。しかし、彼女のその特別さの所以と彼女が力む場所が明らかになるにつれ、ただ、胸が苦しくなる。高町の一生懸命はすべて、家族の問題に注がれていた。青い、とかいって喜んでいる場合じゃない。
学校から家族の問題へ。重きは後者の問題であることは明らかだ。
架は”幽霊”らしく高町を救う”ヒーロー”になることはできなかった。物語はもやっといい話だったように終わるけれども、高町が架を救ったように、架は高町を救えていない。
だからこそ、読み終わり本を閉じた後、僕たちの耳にノイズが聞こえるのだ。
僕らの、子どもの、大人の無力感を突きつけられて。そしてその現実から目を逸らさなければならないから。
不都合なことがあるとノイズが聞こえるという架の特殊スキルは、なにもご都合主義的に付与されたものではない。僕たちが無意識にやっていることである。見たくないものには目を塞ぎ、聞きたくないものには耳を塞ぐ。そんな当たり前のことを可視化しただけに過ぎない。
ノイズを払うヒーロー、ヒロインは現れない。自分でどうにかするしかない。例えば、こんな本を読んでみる、とかでね。
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