長嶋有『三の隣は五号室』感想 部屋と引っ越しと人生と

 

 三月も終わり。「二月は逃げ、三月は去る」とはよく言ったものだ。


「春は出会いと別れの季節」っていうけれど、逆じゃないですか?「春は別れと出会いの季節」でしょう!三月の終わりの冬から春になる時に特有のあのにおいが僕は苦手です。おセンチになっちゃう。


 とまあ、こんな三月の終わり、春という季節にぴったりな本を読んだ。『三の隣は五号室』です。以下、あらすじと冒頭引用。


今はもういない者たちの、一日一日がこんなにもいとしい。 
傷心のOLがいた。秘密を抱えた男がいた。 病を得た伴侶が、異国の者が、単身赴任者が、 どら息子が、居候が、苦学生が、ここにいた。 ――そして全員が去った。それぞれの跡形を残して。


 変な間取りだと三輪密人はまず思った。右手には煙草を、左手には汚れたブリキの皿を水平に持ちながら。
 内見はせず、間取り図もろくにみずに決めた部屋だ。もとより住む場所へのこだわりはない質だったが、からっぽの和室に立ち、しばらく周囲を眺め尽くした。煙草を吸い、皿に灰を落とす。皿は外の、隣室の扉の脇に落ちていた、植木鉢の底に敷くらしいものを勝手に拝借した。こんな間取りで、どのように暮らすかな。


 僕はいま独り暮らしをしていて、アパートの一室に暮らしている。学生時代はずっと寮の214号室に暮らしていた。いや、当たり前の話である。4年間寮に暮らし、引っ越し、その後、今の住居に至ったわけである。


 でも、このストーリーには他人が介在していない。そこに住む”私”にしか眼差しが向いていない。


 これも当たり前の話で、その部屋に住むのは”私”であって、他人ではない。今から住む部屋は”私”のものであって他人のものではない。目の前には新品同然のだだっ広い空間(四畳半だったり八畳だったり)が広がっていて、さあ自由に調理(?)してやるぞ!と意気込む。自分の色に染めてやるぞ、的な。


 だけれども、「この部屋は自分のもの」という”当たり前”が強すぎて、賃貸の「部屋」というそもそもの性質の”当たり前”が見過ごされがちではないだろうか。その後者の”当たり前”とは、「僕の住む前に住んでいた人がいて、僕が引っ越した後に住む人もいる」ということである。


 たとえば、ぼくの住んでいた寮の214号室。明け渡された時は「なんもねー四畳半のへやだなあ(詠嘆)」って感じたわけだが、本当に「なんもねー」わけではなかった。もともと室外機の必要がないエアコンがついていて、押し入れの壁面にはそこに暮らしていた諸先輩方の出身校、在籍大学、学部、学科が記載されていた。


 その「部屋」にはそこに暮らしていた他人の匂い、痕跡がこびりついている。そんな当たり前が見過ごされている。僕と同じ位置にベッドを置き同じ向きで寝ていた人物が過去に未来に”存在する”。同じ部屋を共有したという大きな接点があるにもかかわらず、お互いの人生には全くと言っていいほど交錯しない隣人よりも近く、遠い存在。それを一本の軸に描き切って見せたのが、『三の隣は五号室』だと思う。


 記憶は人に宿るものだが、物にも宿る。それらの累積が場の記憶となり、そこが意味ある場所になる。引っ越しという作業は、その場所に宿った自分の記憶をなるたけ排除する作業だが、どうしても残ってしまう記憶(痕跡)がある。それは、苦労して取り付けたエアコンの室外機であったり、立派だけれどピッタリではなく漏ってしまう風呂の栓であったり、ガスの元栓の先端にあるぬけないゴムホースであったり、指で開けた障子の穴であったり。


 また、同じ部屋に暮らしているのだから、その部屋について思うことはそんなに大差はないだろう。例えば、壁が薄く、隣人の生活音が聞こえてしまうことであったり、始終暗い日当たりの悪さであったり、雨音が響き、とてもうるさかったり。そうした本当に細かい生活必需品との付き合い方や部屋の特質を克明に描き出し、時代と人を照射している。


 第一藤岡荘五号室に暮らした各人をそうした物や部屋の記憶(つまり場所の記憶)を頼りにゆるーくつなぎ、それぞれの時代と生活を浮き彫りにする。そこに見えるのは、いつか経験したこと、もの。そしてこれから経験するだろうこと。すなわち、人生の全部だ。


 第九話「メドレー」でそれまでの一話一話ごとのテーマを第一藤岡荘五号室の住人一人に焦点をあて、次々とメドレーのように語っていくわけだが、その語り口にのせられいつのまにか読者も五号室とオーバーラップしていく。五号室の住人の一人のような気がする。実際そうなのかもしれない、今いる部屋が五号室でない確証は僕にはない。


 最終話「簡単に懐かしい」は五号室最後の住人を描いている。「春は出会いと別れの季節」であるが、その寂しさと期待の交錯が春という季節を素敵にしていると思う。その”春感”とでもいうべき感覚を本当に綺麗に描き出している。


「今度の送別会は、絶対に諸木さん泣かせてみせますからね!」
「楽しみにしてるよ」応戦する口調で言い返しながら、六畳間のアルミサッシの回転錠をぱちんと動かし、窓を開けた。半分ほど開けてみてから、迷いを払うように全開にした。
「諸木さんいなくなるの、なんか本当に寂しいですよ俺……」白木は感傷的な言葉を連ねている。
 スマートフォンを耳に当てたまま十三は玄関まで歩く。靴をつっかけてドアを開け放したまま外廊下まで出て、振り向いた。第一藤岡荘五号室に春の風が通り抜けるのを見届けて、十三は若い白木に告げた。
「今度、家に遊びに来いよ」

――220ページより


 「陰気な五号室が懐かしいです」という手紙と共に郵送された女性か男性かも判然としない写真とビデオテープは、今まで五号室で暮らしてきた全員の総意であって、最後の住人・十三に託されるのは当然なのだ。


 第一藤岡荘五号室に通り抜ける春の風は、別れを告げるあの特有のにおいをのせた風だ。五号室に別れを告げる、あたたかな春の風だ。



 

0コメント

  • 1000 / 1000