詩人の最果タヒさんが書いた中短篇集。たくさんのこの本の感想や、金原瑞人さんの書評(『文藝』2016年秋号収録→こちらからも読めるゾ(web版))にもあるように、非常に詩的。小説なのに。あまりにも詩的。だから、分からない、という感想が多いっぽい。まあ、かくゆう僕も?ばかりだけど、それでも、惹きつけられる魅力がある。
以下、惹句と冒頭に収録されている「きみは透明性」の書き出し引用です。
いま、最果タヒにより、文字が、言葉が、物語が躍り出す。 「好き、それだけがすべてです」——最果タヒがすべての少女に贈る、本当に本当の「生」の物語!
姉は、愛に満ちている。やわらかなまつ毛に包まれた頑なな瞳、太陽を頬張ったような頬ももう見えないほどに、愛に埋もれている。
「お姉ちゃん、愛まみれで、もう顔も見えない」
「いいじゃない」
姉は笑っているらしき声で言った。「キスなんて滅多に届かないし」
――「きみは透明性」9ページより
僕は主に、「きみは透明性」について語りたい。
なぜって、この短編を読んだから、この本を買ったのだし、この短編が、僕の中の、恋愛小説ランキング永遠の一位を獲得したからだ。もうこれは一生覆らない。と思う。これが覆された時は新たな喜びと出会ったってことです。
さて、「きみは透明性」、とっても短い。10分かそこらで読めてしまう。はやい人は5分かからないだろう。ページ数で言えば9ページ。
どんな話か。今一度金原瑞人さんの書評から引かせてもらうと、
・顔が見えなくなってもう十年はたつ姉のキスマークをリセットする話
――金原瑞人「詩と小説の読者を裏切らない小説」
(『文藝 2016年秋号』543ページより)
です。
ネット上で、キスマークを、まるでTwitterのいいねボタンのように、簡単に送ることが可能になった未来。おかげで、美しかった姉はキスマークだらけで、見ることができなくなっているわけです。
この姉は現実にいないの?ネットと現実は別でしょ?おかしくない?とかいう野暮なツッコミはこの際無し。僕は、タイトルの「きみは透明性」にいたるまでの過程がとても好きなのだ。
主人公は高山というクラスの男の子に、姉のキスマークを消したいと依頼する。そこから、主人公は、簡単に言うと”恋心”みたいなものを抱くのだけれど、、、
主人公はそれを否定する。
これが、恋なら、いやだね。
――「君は透明性」17ページより
そう、否定、するのだ。振り返ってみると、主人公も高山も、二人の会話は否定の応酬だ。「~ない」「いやだ」、だけど、その否定の数々には、「軽蔑も、こびも、贔屓もなかった」。
否定と否定と否定を応酬し積み重ね、行き着いた先は「透明性」なのだ。愛も恋も生も死も、すべて透明にする彼の、私の「透明性」。この行き着いた透明という言葉がとてもきれいで。否定という概念が、施すものが透明で。そんな透き通ったこの小説が、だから僕は大好きなのです。
そして、透明な彼の作った透明な口紅を僕も欲しい。
愛の象徴を消し、姉に素顔を晒させる主人公のように、最果タヒの小説に、愛とか恋とか生とか死とか、宇宙とか花畑とかロボットとか色水とか、どぎつくコーティングされている象徴を、僕も透明な口紅で消し去りたい。
僕は、その下の素顔が見たい。
自分で透明な口紅を作る技術は、僕はまだ持っていないのです。
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