小川一水がやりたいこと全て詰め込んだ作品の第二弾。
すべてのはじまり。ネタバレがあります。
西暦201X年、謎の疫病発生との報に、国立感染症研究所の児玉圭伍と矢来華奈子は、ミクロネシアの島国パラオへと向かう。そこで二人が目にしたのは、肌が赤く爛れ、目の周りに黒斑をもつリゾート客たちの無残な姿だった。圭伍らの懸命な治療にもかかわらず次々に息絶えていく罹患者たち。感染源も不明なまま、事態は世界的なパンデミックへと拡大、人類の運命を大きく変えていく――すべての発端を描くシリーズ第2巻。
煙霧の霊(ガイマー)がどう思っているのか、気になった。
なぜなら今、ニハイの村には、煙霧の霊とジョプの二人しかいないからだ。
煙霧の霊は万物を覆う精霊だ。ニハイ村だけでなく、大地の鰓であるこのあたりの二百七十七の谷に蝟集する、グネ、ウレス、ゴコなど多くの村を見守っている。はるか南東の大きな家のある村、ワメナにすら煙霧の霊の見守りは届いていた。
今月末に天冥の標シリーズの最新刊が刊行予定だったが、延期になったとのこと。広げた風呂敷の大きさがうかがい知れる。僕はまだ第三巻に手を伸ばしたところなので、問題はない。むしろゆっくりまとめてください!!
本作は前作と打って変わって、現代のそれも地球の、パンデミックもの。世界規模であちらこちらでアウトブレイクが起こる過程が克明に描かれ、(あんまりこの言葉は使いたくないけれども)リアリティがあった。電車の中でこの本を読んでいたのだが、ふと顔を上げたとき、この電車の中も安全とは限らないという不安に襲われ、きょろきょろと視線が泳ぎ、逃げ出したくなったことがくっきりと鮮明に覚えている。
日本の特異性というか、心性が少しだけ言及されているところがあって、
東京はモントリオールの十倍以上大きな町で、あまりにも多くの人がいるために、どこかで誰がか死んだり傷ついたりしても、全然自分のこととして感じられないのだ、ということがわかってきた。
この国の国民は人間に囲まれすぎているいっぽう、アジアの多くの都市よりも恵まれた環境に生きており、外因に害される心配がないので、人間関係以外のものが見えなくなっている。興味があるのは自分とつながりのあるごく狭い世界だけ。
のような。
僕自身もそうなんだろう。電車でこの本を読むまで危機感を覚えたことはないし、先の熊本の地震も、申し訳ないのだけれど、所詮テレビの向こうの出来事でまるで自分のことのようには感じることができていない。
そんな人間のあり方が、登場人物たちを苦しめる。病原体保持者になってしまった千茅、医者の圭伍や華奈子。生活圏から疎外された人間は、どうなっていくのか。
天冥の標シリーズに希望があるのか、どうも疑ってしまう。希望を望む僕は頭がお花畑なのかもしれない。
すべてのはじまり、『救世群』の中でも、描かれるのは反転の皮肉だらけだ。加害者が被害者となり、被害者が加害者となる。そして、その構図から無関係な人間はひとりとして存在しない。加害者と被害者の反転は天冥の標シリーズのテーマの一つであるらしい。
冥王斑や『疾病P』の名で呼ばれる病原体の設定も非常にやらしい。涙を流させ、それを媒介に感染を広げていく。物語の終盤、華奈子が涙を流し圭伍にキスをするという一見希望が見出せそうな場面があるのだが、それまで冥王斑は涙が感染経路なのだと刷り込み済みの読者としては、不吉な感じを無意識のうちに感じざるを得ない。
物語のラスト、突拍子もないような解釈が提示される。それは読んで見てくださいというほかないのだが、その突拍子もない設定がSF的にどう回収されていくのか、非常に楽しみであり、それがしっかりと荒唐無稽のまま終わらないという期待が、小川一水という作家にはある。
行く末を想像しながら、楽しんでいきたいと思います。
第一巻の感想はこちらから。どうぞ。
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