主要SF文学賞(ヒューゴー賞やネビュラ賞など)に軒並み受賞した本作がついに翻訳され日本で発売!なんと七冠受賞を達成し、あの、ウィリアム・ギブスン『ニューロマンサー』を超える快挙であるらしい。すげー!読むしかない!というわけで購入。以下あらすじ引用。
はるかな未来。強大な専制国家ラドチは人類宇宙を侵略・併吞して版図を広げていた。其の主力となるのは宇宙艦隊と、艦のAI人格を数千人の肉体に転写して共有する生体兵器”属躰(アンシラリー)”である――。”わたし”は宇宙戦艦のAIだったが、最後の任務で裏切りに遭い、艦も大切な人も失ってしまう。ただ一人の属躰となって生き延びた”わたし”は復讐を誓い、極寒の辺境惑星に降り立つ……。デビュー長編にしてヒューゴー賞、ネビュラ賞、クラーク賞など、『ニューロマンサー』を超える史上初の英米7冠を制覇。本格宇宙SFのニュー・スタンダード登場!
以下冒頭引用。
全裸の人間が、うつぶせに倒れていた。死んだような鉛色。かたわらの雪面には赤い血の滴が飛び散っている。気温は摂氏マイナス十五度で、吹雪は数時間前まえに通り過ぎたばかりだった。弱弱しい朝日のもと、見渡すかぎりの雪原に轍が数本、氷でつくられたすぐそばの建物につづいていた。あれは酒場だ。もしくはこの町で、酒場と称されているもの。
最近は翻訳物を読むとき、多くが三人称視点であり、それに慣れず物語世界に没入することが難しいと感じていたが、『叛逆航路』は主人公のAI、”わたし”ことブレクの視点で紡がれていたため、サクッと物語に入り込むことができた。やっぱり僕は一人称視点の小説が好きみたいです。
その一人称視点もこの小説では大きな意味を持つ。それは「属躰」すなわち「アンシラリー」の特性による。ブレクは通称<トーレンの正義>という名の戦艦のAIが転写された生体兵器、つまり「アンシラリー」であり、その「アンシラリー」は多く存在している。同じ戦艦のAIが転写されている「アンシラリー」は全てを共有することができる。つまり、視覚や聴覚といった五感、果ては心拍数や生体反応までをだ。様々な場所に同時に存在しつつ、現状を描く。その面白さを効果的に描く一人称視点であるともいえるだろう。
寝ているオーン副官のところへ行き、裸の肩に手をおいた。「副官」小さく声をかける。
舟の上のわたしは、箱の蓋を静かに閉めた。「町にもどろう」
副官は目を開けた。「眠ってはいないよ」しかし、その目はうつろだった。舟の上で、デンズ・エイと娘は黙って櫂をとり、漕ぎはじめた。
「銃は押収品でした」小さな声で伝える。スカーイアト副官を起こしたくなかったし、誰かほかの者に聞かれても困る。「符号で識別しました」
オーン副官は何の話かわからないようで、ぼんやりとわたしを見返した。そして、理解した。「しかし……」副官は完全に目覚め、スカーイアト副官を見た。「起きてくれ、スカーイアト。問題が発生した」
もちろん、オーン副官が寝ているところは舟の上ではない。舟の上での出来事を見ている個体と、オーン副官を起こしに行った個体は別々であるが、意識はつながっており、これらの出来事はブレクにとって連続的に起こっているものであるのだ。そして、このような状況が正確に描写されているからこそ、個体間のつながりが途絶したったひとりになった現在のブレクの苦悩が分かる。
また、ラドチには性別による区別がなく、そのため、他人を指す代名詞はすべて「彼女」だ。ラドチ文明圏外の文明(例えば、最初の舞台、惑星ニルト)では男女の区別がある。身分を隠しながら転々とするブレクには、性別による区別がつかないため、たびたび混乱が起こる。
そして(これは「解説」の二番煎じになるが)、われわれ読者はそれにより、登場人物を詳細に思い描くことができない。そんな宙づり感を楽しむのも非常に面白い。
惑星という惑星を股にかけ、視点が現在へ過去へと振り回される感じは、ちょっと気を抜くと置いてかれるかも笑 それでも追いかけるだけの価値はある。バックバックにブースターを積んで付いていこう!
様々な問題を孕んでいると思うが、ぼくが個人的に一番大事なのではないかと感じたのは、アイデンティティの問題。ブレクは集団人格からはぐれ、その指令をしてくれる存在がいなくなったため、自分自身のことを自分自身で考えなくてはならなくなった。この状態をブレクは「盲目」と表しているが、それほどまでに困惑した(そしてしている)だろう。これと対比的なのが、皇帝のアナーンダである。
アナーンダはラドチを作り上げた崇高な存在。そして、そのアナーンダも複数体存在するのだ。それは自衛手段でもあるだろうし、様々な場所を回らなければならないので、単純に体の数は多いに越したことはない(僕にも意識を共有した学校に行く、仕事に行く、実習に行く専用の僕をください)。しかし、「蛮族(エイリアン)」との接触により、アナーンダの中に分裂が起きる。考え方に相違が生まれてしまうのだ。アイデンティティクライシスを実際に複数体ある体で実演している、との見方もできる。
この、アイデンティティへの両者のアプローチの仕方が、本作の一番の魅力だと思う。それは、精緻な世界観あってこその問題だ。
そして「解説」でも言われている通り、「メロドラマ」でもある。AIと人間の「メロドラマ」。性別が判別としない中の「メロドラマ」。そこには強烈な「色気」が漂っている。
個人的には表紙の戦艦、めちゃめちゃかっこよくて大好きです。同じように戦艦が表紙の小説で「星のダンスを見においで」ってのがあるんだけど、よむべきかなあ。
あと、ヒューゴー賞、ネビュラ賞については以下の過去記事にちょっと説明してあるので、参考程度に。
以下、読書メーターに投稿した感想です。
惑星から惑星へという空間的移動、そして過去へ現在へという時間的移動が大胆に取り入れられ、かなり壮大なスペースオペラである。集団人格で統一されていたはずの〈属躰〉ブレクと皇帝アナーンダの対比が本作の見どころではないか。前者は孤立し「盲目」になった。後者は集団人格内で分裂が起きた。”わたし”のアイデンティティの所在の問題を浮き彫りにしているように私には思えます。
0コメント