わからない。なにもかも。わからない。宇宙に行けばわかるのかな?というわけで、幸村誠作『プラネテス』です。以下あらすじ。
しがないデブリ(宇宙廃棄物)回収船に乗り組むハチマキは、大きな夢を持ちつつも、貧相な現実と不安定な自分に抗いきれずにいる。同僚のユーリは、喪った妻の思い出に後ろ髪を引かれ、自分の未来を探せずにいる。前世紀から続く大気の底の問題は未解決のままで、先進各国はその権勢を成層圏の外まで及ぼしている。人類はその腕を成層圏の外側にまで伸ばした。しかし、生きることーーその強さも弱さも何も変わらなかった。
講談社の公式ホームページ引用。サイトは一番最後に。
漫画はあんまり読まないのだけれど、「ワイ、SF好きなんや」とかほざいてたら、漫画好きの友達がSF漫画を貸してくださいました!多謝!星雲賞とかも獲ってるみたいですね。
『プラネテス』は全四巻。連載は不定期であったらしく、一応、終結はしていない模様。でも、最終巻が2004年に発売されていることを考えると、完結ってことで、いいのではないか。な。
地球を重力の井戸と比喩したのは、アニメ「機動戦士ガンダム」か。それの対象で、宇宙と書いて「そら」と読ませたりガンダムではしていたけれど(いまではキラキラネームで普通になっっちゃってますね)、『プラネテス』だと、宇宙は「うみ」か。宇宙船員と書いて「ふなのり」と読ませたり、お守りとしてコンパスが登場していたり。地球と宇宙の関係を、「ガンダム」では垂直方向の対比、『プラネテス』では地球を島と見立て宇宙は水平方向に広がっている、みたいな感じに捉えているのかなとか。たった今思いついた。
でも、「ガンダム」でもあのマゼランの名を冠する宇宙戦艦が出たりしてるので、だから何?感がすごい。
まあ、どちらにせよ、共通しているのは、地球は重力に縛られざるを得ないと。そういう認識。「ガンダム」では地球に住む人々(アースノイド)と宇宙に出た人々(スペースノイド)の戦争を描いているので、スペースノイドの人々がアースノイドの人々へ「重力に捕らわれた馬鹿どもめ!」とかって使われるが、『プラネテス』だと特に主人公のハチマキなんかは重力=しがらみみたいに捉えていて、そこからの脱出を目指し、重力=しがらみの全くない、宇宙へ。そしてもっと遠くへ。というような。そんな風に僕は感じた。
しかし、第一巻PHASE2「地球外少女」の中で奇しくもハチマキが言っている通り、「言うまでもないが、人間の体は宇宙で暮らすようにはできていない」。つまり、重力のないところでは人間は暮らすことはできないのだ。『プラネテス』はそのことにハチマキが気付くための物語なんじゃないかな。当たり前のことだけど、当たり前に気付くって本当に難しい。個人的な話だけど、今、それをいたいほど実感している。
重力は愛や仲間に言い換えることができるだろう。その対象は登場人物によってさまざまだ。それらにそれぞれの登場人物がどのように折り合いを付けていくのか。重力がないと生きていけない、という大前提は変わらずに、それでも、三者三様の重力との付き合い方を描き切る。
第一巻が好き。PHASEのひとつひとつが完成されているというか、とても”重力”を感じる。
悩みはつきない。僕の心の質量が増えて、引力が大きくなったみたいだ。分からないことだらけだ。自分のことですらよくわからない。みんな、地球以外の自分にとっての重力場を持ってるんだろうか。
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