めりーくりすます!!
僕がサンタクロースなら、プレゼントに贈りたい本はこんな本。
人の心には一匹の猫がいて、そのもらい手を絶えず探している。自分で自分を飼いならすのはひどく難しいから、だれもが尻尾を丸め、人のふりして暮らしている。 恋する私たちを描く、文月悠光の第3詩集。
今年の10月に発売された本作。しかし、この詩たちに触れるなら冬が一番だ。
詩人たちの季節感なるものがなんかわからないけれど、僕はどうしても目についてしまう。そうなるとどうしても自分の読み方はかなり恣意的になるのだけど(それを自覚しているけれど)、でもそれでよい気がする。
文月さんの描く「恋」は基本的に「うまくいかない」ものとして描かれているように思える。
そう、靴ひもが結べなくて、プールに入れずに泣き出す意気地なし、蟻がともだちで、ノートの隅に絵を描いてばかりいるきみは、詩人になってしまうんだ。
私は詩人になるはずじゃなかった。いつも人に出遅れて、みんなのはるか後ろをこわごわと歩いている。普通になりたい、普通ってどこ?と怯えるひどく凡庸な女だ。でも「詩人」という怪しげな立ち位置は、案外お似合いかもしれない。それは、社会で「死んだ」も同然の、「生きてる」だけで驚かれてしまう、亡霊のような存在だから。
あなたがどんなに詩を好きだとしても、詩人には関わらない方が身のためです。
だけど、少しお話しませんか。
詩人だって人間。
ひとりぼっちは、嫌なんです。
――「脳みそはみんな同じ」(文月悠光『洗礼ダイアリー』)より
「ひとりぼっちは、嫌なんです」。このことが底に流れているのだろう、「うまくいかな」くても、とても優しい。あなたとわたしは「うまくいかない」ことを、やさしくつつみこみながら、言葉は紡がれていく。
ひとつひとつの言葉が空からゆっくり降り、ふわふわと積もる雪のように。
恋をするには、夏はギラギラしすぎている。だからたぶん、(「うまくいかない」ことをどこか孕みつつも)わたしとあなたが幸せそうな詩には「冬」があてがわれているんだ。やさしい雪が包み込み、ノイズを吸収し無音という繭を作り上げる「冬」という季節が。
この本のどこか、
ふたりで見た雪のことも記されるのだ。
文字はしんしんと
手のなかに降り落ちていく。
――「物語の恋人」より
積もった雪はいつか溶けてしまうし、手をあたためた白い息はあっという間に拡散してしまう。「冬」の事象は夏よりなにより刹那的で幻想的だ。でも、その一瞬だけでも、あなたと繋がれたと思うことができたら。たとえ刹那の幻想だとしても。その「恋」は叶っている。「冬」は実は優しいのだ。
わたしやあなたの発する、寒く白くけぶる吐息が、恋する/愛するあなたやわたしに届かんことを。
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