寮祭 感想

 酒をしこたま飲んだ翌日は、なぜだか早起きしてしまう。3時間くらいでおめめパッチリ。ぼやっとしているうちにいろいろなものが湧き上がってきたので、徒然なるままに。


 昨日(9月13日)、僕の生活している寮にて、「寮祭」なるものが催された。一体、「寮祭」とは何なのか。ざっくり言ってしまうと「内輪の酒の肴」だろうか。寮祭は運動祭と演芸祭に分かれており、1年から4年の4つの縦割り班がそれらの祭の順位を競い、優勝を決定する行事である。運動祭では、綱取り、ドッヂボール、騎馬戦、そしてラストリレーの4種目で競い合う。演芸祭では、各班(寮内では「グルッペ」なんて呼ばれている)が15分から20分の間で寸劇を作り、それの出来で競う。順位は投票で決定される。


 まず、運動祭の方から。ラストリレーは説明が必要だろう。詳細に説明しすぎると、非難が殺到しそうなので、オブラートに包んで。要は、早食い競争である。早食い会場まで、何かしらの競技を行い、カップ麺、コーラ、パン、アイスを各グルッペ毎割り振られた人がとにかく食う。ちなみに僕はカップ麺担当だった。おかげで、今、口の中と食道がエライ騒ぎになっている。


 運動祭はあまり、重視されない。体を動かすことが目的で、練習はほぼ皆無。しても、ラストリレーぐらいだろう。でも、いい疲労感と達成感。今年は運営がしっかりできていて、恒例のちょっとしたもめ事はあったものの、あまりストレスなく終わることができた。お疲れさまでした。


 そして、寮祭はなんといっても、演芸祭だろう。各グルッペの寸劇の他にも、一年生によるオープニング、二年生のビデオ企画、三年有志、四年有志がある。そして、2週間の準備期間は、すべて演芸祭のためにあるといっても過言ではない。


 ……いつの間にか寝ていたらしい。寮祭の翌日は一日を棒に振りがちである。


 この二週間の準備期間にグルッペ長は台本作り、主演、音響監督、舞台監督などを行う。そのきつさたるや、筆舌に尽くし難し。二年前やったことあるんで、よくわかります。体重も4,5キロ痩せました。痩せたいと思っているそこのあなた、寮祭ダイエットいかがでしょうか。上級生の無茶ぶりの数々にも応えなければならず、上級生がつまらないと感じたことは、次の日までに改正が求められるわけである。毎年毎年、グルッペ長のやりたいことと上級生のやりたいことが交じり合い、カオスな劇が出来上がる仕組みである。


 自らの殻を自らの力のみで破るのは、滅多にできることではない。恥ずかしさや、出来るはずないという思い込みがそれを邪魔する。そんな殻を破ることのできるのが、寮祭(特に演芸祭)への準備期間だ。というか、殻を破らないと、上級生のしごきが終わらない。今では殻を破れたことは良いことであったと思うことができるが、その当時は、ただただきついだけで、何度やめたいと思ったことか。


 自分にとって大変なこと、いわば試練のようなことは期せずして(巧妙に避けていたとしても)自身に立ちはだかることがある。そんなときに逃げ出すことは簡単だ。しかし、逃げ出してしまえば何も自分に残らないだろう、というのが現時点での僕の考えである。何かを残したいのであれば、その時に意味は見出せなくとも、やり切ることが大事ではないだろうか。意味は、2年後3年後に見えてくるものもある。もっと先に見出せるかもしれない。少なくとも、寮祭に関しては、僕は意味を見出すことができ、やり切った過去の自分に感謝している。


 ……こんな考えがブラック企業を生み出しているのだろうか、、、


 それでも、すべてが終わった後の達成感と開放感と、悔しさと嬉しさと、様々な感情が交じり合って流れる涙は本当に美しい。


 僕たちの世代が、一年生のパフォーマンスを廃止した。僕が1年の時、各グルッペの1年は毎晩、グルッペの上級生の前でネタ見せを行い、誰も笑ってくれない、むしろ「それ面白いと思っているの」と、怒られるという経験をしている。これは、寸劇の他に、一年生のパフォーマンスも審査の対象だったからだが、これを大きな原因の一つとして、たくさんの同期がこの寮を去った。


 だからこそ、運営代となった2年時にパフォーマンスを廃止したわけであるが、寮祭の規模を縮小しても、辞めていく寮生は毎年一定数おり、また、パフォーマンスを廃止したことと直接の関係はないと信じているが、下級生の上級生への礼儀といったものが薄れていった、ように感じている。


 現在の寮の様子は、僕が入寮した当時と比較しても、まったく様子が異なっている。今の一年のように、気安く四年生には話しかけることなんてできなかったし、いつもなにか粗相がなかったか、びくびくしながら生活をしていた。まして、行事中に1年が勝手に寝るなんてことは言語道断だった。現在は、平気で寝る下級生がいる。そのことが、寮の今後にとっていいことなのか、悪いことなのか、僕には判断できない。


 四年有志において、最後のパフォーマンス世代として、20分間ほど、四年生全員がかつての一年のようにパフォーマンスを行った。ソロネタと全員でやるネタと。これを見た下級生は何を思うのか。なにか爪痕を残すことができていれば、と思う。


 正直、僕は寮祭にあまりプラスの印象を残してはいない。確かに、グルッペ長を務めたとき優勝して上級生に胴上げされ、涙を流した。しかし、そんな嬉しさを上回るほどのきつさが存在していたことも事実だ(だからこそ、涙を流したのかもしれない)。九月というだけで食欲が落ちるのは何とかしてほしい。そんな僕でさえも、四年で最後の寮祭を終えた今、寂しさという感情が湧き上がっている。


 これは一体どういうことだろう。案外僕は寮祭を楽しんでいたのかもしれない。わけがわからない。


 こんなにも一生懸命になって、3週間ないし2週間寝る間を惜しんで練った寸劇やパフォーマンスの数々は、強烈に僕に粘着している。切っても切り離せない。もう一生忘れることはないだろう。


 最後に、僕のやるネタのために四年全員で考えた百人一首のパロディを紹介する。どんな風にネタをしたのかはご想像にお任せすることとする笑

 

 天恥天皇

  秋の夜の
    かりほの理穂の
        旨をおがみ
 わが衣手は
   露にぬれつつ

 

 「理穂」の解釈がヒントになるのではないだろうか。まあ、下ネタです笑


 

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