最果タヒ作『空が分裂する』感想

 詩がきらいになったのは、いつからだろう。詩に対して拒否反応を起こす理由もいまはもう闇の中だが、学校や、テレビで見かける詩の多くが説教くさいものばかりであったからのような気がする。道徳の時間とかね。全然関係ないけど、道徳の時間は嫌いだった。


 そんな詩のイメージを変えてくれたのは、野村美月作「文学少女シリーズ」の外伝、『’’文学少女’’と恋する挿話集4』に取り上げられていた、タゴール作「百年後」という詩との出会いだった。その詩に触れた時、冗談無しに読んだままの情景が頭の中に広がり、延々と続く草原や、生き生きとした人物動物が頭の中を飛び出しまるで僕がその空間にいるかのように錯覚した。詩にはこんな力があるのかと、驚愕した覚えがある。その詩は心に残り続け、教育実習中、生徒たちに紹介もした(恥ずかしい話)。


 それから、詩に対する抵抗感はかなり減少したように思える。そして、最近僕の琴線に触れている詩人が最果タヒさんだ。その最果さんの詩集『空が分裂する』が文庫になったということで、速攻で購入してきた。以下、あらすじというか、内容紹介引用。


殺人も、恋も、すべて空と呼べばいい。
今や誰だって言葉を発信できるし、どんな人だって言葉を受信できる。そんな現代に「特別な私」はどこにいる?かわいい。死。切なさ。愛。混沌から生まれた言語は、やがて心に突き刺さり、はじける感性が世界を塗り替える。昨日とは違う私を、明日からの新しい僕を、若き詩人が切り開く。萩尾望都ら21名の漫画家・イラストレーターと中原中也賞詩人が奏でる、至福のイラスト詩集。


 「萩尾望都ら21名の漫画家・イラストレーター」って誰?って人用に、最果さんのツイッターの引用参照。

 あんまり漫画やイラストに詳しくない僕でも、見たことある絵柄を書く方がいらっしゃってすごい豪華だってことが分かる。知っている人からするとほんとにすごいらしいっすよ。


 生きる上の必須スキルとして、「コミュニケーション能力」なる能力が叫ばれて久しい。僕はこの「コミュニケーション能力」がどのような能力なのか、未だに説明できない。世間の求める「コミュニケーション能力」はなんとなくわかる。誰とでも会話ができ、誰もを受け入れ、そして人の小さな異変に気付き、とっさに手を差し伸べることの出来る能力?まあ、こんなようなことを大事にしています、と面接官に言っておけば安全牌だろう。でも、人がみなこの「コミュニケーション能力」を携えた世界は、とても気持ち悪いと思う。輪のために、社会のために、会社のために、学校のために、教室のために。個を殺し、生活するのは苦しいだろう。


 そんな大小さまざまな社会に対する違和感を鋭く切り取っている(と思っている)。繊細な言葉の連なりで。飛躍を繰り返しながら。でも、こんな僕の感じたことなんて一側面にすぎない。そう言ってるかもしれないし、言ってないかもしれない。なぜか。それは最果さんの詩はとても’’軽い’’からだ。


 なにかしら文章を起こすとき、書き手の主張が文章に''重さ''として加わる。ツイッターのような短いものでも、このブログのように長いものでも。それは何かを伝えたい、表現したいっていう思いがあるからこそ文章に起こすのだから、普通の事だろう。そんな’’重さ’’を極力排した文章(詩)が最果さんの持ち味だろうと思う。


 最果さんの詩を読んでも、不思議と文章は心に残らない。代わりに残るのは、読んで想起させられたイメージと言葉の断片だ。そして、すぅーっとじんわり消えていく。それはとっても気持ちいい。ふと、そのイメージや言葉の断片を思い出す。寝る前とか。とっても不思議な、心にすっと入り込んでくる言葉の連なり。いつの間にか自分の一部になっているかのような感覚。


 無駄な文字列のつながりでは断じてない。そんな’’軽さ’’の絶妙なバランス感覚がとっても新鮮だし、大好きだ。


 人は結局のところ独りで、孤独だ。馴れ合いをしたって、コミュニケーションを取ったって、わかり合えないし、わかり合いたくもない。ちっぽけで、誰もかれもが一緒なんだ。だからこそ、僕は僕なりの仕方で表現していきたい。


 遠くで花火が、近くで話し声が弾ける。毛布にくるまる僕に、耳が静かだね、と囁きかけた。夢との狭間で独り、孤独に苛まれている。


 夏が終わりますね。

 

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