恥ずかしながら、ゲーム好きを、しかも任天堂派を名乗っていながら、「ゼルダの伝説」シリーズはプレイしたことのなかった僕。理由は「怖いから」。ダークな世界観、気持ち悪い敵(リーデッドとかライクライクとか)、その場その場での判断が求められるアクションゲーム、などなどの要因を前に尻込みしてました。
いま、このゲームをプレイしていなかったことに、ただただ、後悔、しております。
――「紹介映像」
まあ、本ゲームの概要は上の引用の「紹介映像」を見ていただくとして。
今回は、「ゼルダの伝説 トワイライトプリンセス HD」(以下「トワイライトプリンセス」)のプレイ感想ではありますが、ゲーム性には一切言及しません。僕は「トワイライトプリンセス」の物語にとても感動しました。(もちろんゲーム性の高さが物語への没入を可能にしているのは見過ごしてはなりません)。
ゼルダの伝説はこれが初めてのプレイなので、ゼルダの伝説ガチ勢の方々からすれば常識みたいなところで感動しているかもしれませんが、多目に見てください。よろしくお願いいたします。
また、結末に触れざるを得ない部分があります。ご承知おきください。
ハイラル王国がある「光の世界」は、
トワイライトと呼ばれる「影の世界」に侵略され、
人々は魂だけの姿へ、モンスターたちは影のような異形へと変わる。
魔物にさらわれた子どもたちをを追って、
トワイライトに踏み込んだリンクは何故か獣の姿に……。
そこで出会った不思議な人物「ミドナ」と共に、
光の世界を取り戻し、大切な人を助けるための冒険がはじまる。
――公式サイト「『ゼルダの伝説 トワイライトプリンセス』とは?」より
「ゼルダの伝説」シリーズでは勇者が二つの世界を行き来する、という伝統があるのですが、今回は”光の世界”と”影の世界”を行き来します。さらに、”光の世界”では人の姿、”影の世界”では獣の姿、と勇者は変身し、別々の能力を使いながら、謎を解いていく、というのがゲームの進行の仕方です。
ここで「リンク」ではなく「勇者」としているのにはわけがあって、「勇者」はプレイヤー自身であるからです。名前は私たち(プレイヤー)が決めることができます。個人的には自分の名前でプレイすることをおススメします笑 世界救いたくない?
勇者が住む村は「トアル村」。そこで、呑気に暮らしている一人の青年。周りの子どもたちから慕われ、可愛い幼馴染みがいるごく普通の青年。
そんな彼が勇者としてハイラルを救う。めっちゃ素敵です。そして、それは彼を操作する僕でもある。しがない一人の人間が神に選ばれ、世界を救う役割を担う。明かされる出自、雲の向こうの存在であるはずの姫、マスターソードによって認められる勇者の証。
いつの間にか”この僕が”ミドナといっしょに旅をし、世界を救っているのだと、錯覚するようになる。
この体験は、代えがたい。この現実のこの僕は、決して世界を救うヒーローにはなれないのだ。決して。普通に暮らしていて、手の甲にトライフォースが浮かび上がることもないし、マスターソードを抜くこともできません。でも。でもです。もう一人の”僕”は、マスターソードを抜くことができるのです。
この追体験は、ゲームならではでしょう。なにしろ観客ではない。読書や映画では得られない体験です。
ゲーム機のコントローラーを握れば、誰でも特別になれるわけです。だから楽しいよね。
まあ、ここまではよくあるロールプレイングゲーム全般に当てはまる話。そろそろ「トワイライトプリンセス」の話をしましょう。
「トワイライトプリンセス」の特徴としては、”普通の人々が異変に気付くことなく、事がはじまり、事が終わっている”ということだと思います。それは、”影の世界(=トワイライト)”がもう一つの世界である、ということと不可分に関わっているでしょう。
もちろん、小さな異変(カカリコ村とゴロン族の関係とか)は提示され、それを解決していくのが勇者の道筋だけれど、その小さな異変の理由が、”影の世界”が”光の世界”に漏れ出ているから、というのは知られないわけです。
知っているのはそれぞれのトライフォースを宿している”光の世界”の三人(勇者(リンク)、姫(ゼルダ)、ガノンドロフ)、その他には”影の世界”の住人、精霊、七賢者、神など、ハイラルの地を見守る人(?)達のみであるわけです。
この物語はひたすら”影”=”陰”の物語であったにすぎません。そして最後、影の王に認められたミドナによって光と影の世界をつなぐ「陰りの鏡」は割られてしまいます(この場面、ミドナが「またな……」と言いながら完璧に粉々にするのですが、切なさで胸がいっぱいになってしまいましたね)。完全に繋がりが断たれてしまう。
と、いうことは、これは”ハイラルの地を見守る者”たちにとっての伝説にしか過ぎない。選ばれし者たちにとっての伝説に過ぎないのです。
ならば、勇者になれない一般人である「現実の」僕は、ミドナに会えないのでしょうか。ゲーム機のコントローラーから手を放した瞬間、勇者の証を手放さざるを得ないのでしょうか。ゲーム機の電源を落とした瞬間、現実の虚無に飲まれざるを得ないのでしょうか。
いや、けしてそんなことはないのです。
(ゼルダ)姫も言っていたように、光と影はそれこそ表裏一体。光有る所に影は常に付きまとうのです。僕が存在するだけで影は必ず存在する。ならば、「影」はミドナは、僕(たち)に永遠につきまとっているのです。
影の世界の光の世界への浸蝕が、光の世界の一般人に感知できなかったのは、しょうがないことなのです。影の存在が当たり前すぎるから。影に飲まれた感覚など、あるわけがないのです。当たり前だから、忘れられる。
ならば、影があると、忘れずにいればいい。それだけで、選ばれし者になれる。それが影の女王、ミドナの望みでもあるのだから。
追記
選ばれし者たちも、失敗をする、というのも特徴なのかもしれません。光の精霊も、七賢者も、ザントもガノンドロフも。ゼルダもミドナもリンクも。
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