最果タヒ『恋できみが死なない理由』感想 ナイーブ断想

▼誰も傷つけたくないとあなたは言った。痛いほど気持ちが分かった気がした。ぼくも、誰も傷つけたくない。だけれど今、その共感を表現するのに「痛い」という言葉を使ってしまっていた。


▼酒もタバコも、ぼくにとって自分を傷つけるために行う自傷行為だ。緩やかな自殺である。酒もタバコもマズいから良い。誰かに傷つけられたとき、その傷を自分のものとするために自ら酒を飲みタバコを呑む。


起こってはならないと、思っていた、起こってしまうかもしれないとわかっていた、でも、それは自分にはどうしようもないことだった、どうしようもないことしかこの人生にはほとんど存在しない、それらに傷ついていくばかりだし、私はできればこのまま、慣れることなく、もう、このままでいたい。

――「傷口」


▼今年は東京へ向かう機会が多くあった。多くの旧友に出会い、楽しい時間を過ごした。過ごしながらも傷付いている自分がいた。コミュニケーションが上手くとれない自分、面白いことをいえない自分、かっこよくない自分。それを指摘されているようで。


▼なんて傲慢なのだろうと思う、今の自分が。今の自分が「うまくいっている自分」であると思っていなければあらためて傷つくことなんてない。今の自分は「コミュニケーションが上手くとれる自分」で、「面白いことをいえる自分」で「かっこいい自分」である、なんて、なんて傲慢なのだ。


▼ぼくは多分、軽率に傷つけられたい。だから東京に行くのだと思う。そこで晒される「うまくいっていない自分」も、まぎれもない自分であることを受け入れなければならない。そこから出発しなければならない。


さみしさをどうするか、ではなくて、さみしいままでい続けるにはどうするか、なのかもしれないと思います。自らの言葉で話すこと、自らの気持ちをたとえ理解されなくても話し続けること、そして他者のそうした言葉を(たとえ理解できなくても)聞くことが、もっと増えてほしい。それはきっと、誹謗中傷が多々存在するSNSでこそ可能なことだと思うのです。

――「さみしいままでいるために。」


▼ぼくがこんなにも軽率に傷つくことができるのなら、ぼくはあまりにも軽率に誰かを傷つけてしまっていることだろう。うやむやな笑み、そっぽを向くような態度、ふらふらとした足取り。ぼくの一挙手一投足がだれかを傷つけうるものとしてあらわれているだろうこと。


▼1つの象徴が、明確にだれかを傷つけてしまっていた。それはぼくにとってとっても不本意なことだった。その象徴が示す強固な枠組みに自分が象られ、その木枠がぼくを示すものとなってしまったことが……


▼どちらのみちを選んでも誰かを傷つけてしまう。すべての行為はだれかを傷つけうるものであるけれど、たった1つの象徴をめぐって傷つけてもよい対象を選ばざるをえない状況に、立ち往生している。「傷つけてもよい対象」を選び取る、なんてことはしたくない。ずっと立ち往生していたい。でもその立ち往生で傷つくひとがいる。立ち竦むしかないです。


共有される、叫喚されるような寂しさや怒りしか、この場所にはもはや存在できなくなってしまったのかな。(中略)だれも助けたくないような、くだらないとしか思わないような、でも当人にとっては叫ばずにはいられない痛みや苦しみが、本当に身を潜めてしまっていると感じる。他人にとっては大したことのない「今言うべきではない」しんどさや苛立ちが、減るはずもないのに見えなくなっていると感じる。他者が聞いてやりたいと思うか、助けてやりたいと思うか、なんてことがその気持ちが存在していいかを決めるわけもなく、むしろ、その気持ちが垂れ流せるだけで救われることがあるはず。それさえ今許されないとしたら、その人たちは今ずっと「寂しい」のではないか?

――「インターネット蕁麻疹」


▼教員という仕事はつくづく業が深いと感じる。無邪気に大学受験の面接で「子供たちに多大な影響を与えられる職業だと思います」と豪語していた自分が恥ずかしい。なるべく、ぼくの影響など受けないでいてほしいと思う。ぼくは空気のような存在でいたい。その無色透明さ。


▼教員と生徒という関係は、特別で複雑な関係を取りもてる。そう願っている。支配―服従というわかりやすい構図から解き放たれようとしている今だからこそ、名前の付けられない(そして名前を付けてはならない)本当に特別な関係性を築けると信じている。意味に囚われすぎている既存の関係性を示す言葉では表現できない関係性を。


その気持ち悪いものをいかに相手にそのまま差し出さずにいられるか、愛があるからこその優しくありたい、ささやかにでも照らす光でありたいと思う、その感情だけをいかに差し出すか、相手に愛の全てを受け入れてほしいと願ってしまうことなくいられるか。みたいなことかな~というメモをしに来たんだよ。
 愛は全部キモい。

――「愛は全部」


▼無色透明でありたい。と同時に上記引用のような「愛」を持って接していたい。そうした倫理が、だれかを傷つけた、傷つけなかった、だれかに傷つけられた、傷つけられなかった、みたいな狭隘な視野から解き放ってくれるような気がしている。


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