読点だらけの中途(そしてこれからもずっと中途)の報告

 世間は存外、平坦だった、


 これはぼくのせいなのだろうか、「社会の荒波」などということばに込められているように、社会なるところはざっぷーんばっちゃーんうわわぐわわわああキャーーひょーってところじゃないのだろうか、ただぼくがめぐまれている(?)だけなのか、それとも、いまは荒れていないけれどもとおい地でドカーンバキキと地震がおこってごごごごごと津波が迫っているのだろうか、


 改めよう、「ぼくの」世間は存外、平坦だった、


 おもえば、2016年もそして現在進行形の2017年もなんだか面白かったor面白そうな年だ、それだけ社会は大きく動いていて、毎朝、毎昼連日の面白そうなニュースを取り上げ、まるで身内を殺されたみたいに哀しみ、まるで身内の仇であるかのように怒っている、


 うらやましい、


 「周囲の」世間は確かに、荒波かもしれない、でもそんな荒波はズザザとぼくをさけていく、なんだかうみを割ったモーセになったみたいだ、


 ぼくのたっている位置からでは荒波ってるぶぶんがよく見えない、いや、よく見えてるんだけどよくわからない、液晶の向こう側でざっぱんざっぱんしているあの荒波はとことん僕と関係がなさそうだ、


「他人の気持ちを想像できるようになりなさい」「他人を我が事のように思いなさい」


 前者はわかるけど後者はわからない(こんなことをいうと社会不適合者の烙印をポンっと押されてしまいそうで非常に怖いのだけれど、そう思っちゃってるんだから仕方がないでしょ)、でも、「他人を我が事のように思」える人っていうのは案外多いみたいだ、たしか、この文言は社会生活を営むうえで非常に大事で重要で肝要なことを教えている(らしい)道徳でご教授されたものであったような気がするが、世はいかによくならんや(反語)、


 なんでこんなにのっぺりしてるんだろうなあ、起きる、着替える、出勤、退勤、寝る、起きる、着替える、出勤、退勤、寝る、起きる、、、、、毎日に句点が打たれることなくただだらだらと読点が続いていくのだ、そんな読みづらい人生を送っているのだ、


 まだ若いんだからなんでもできるよ、とぼくに人はいうでもぼくにとっての最良で最高で熱い時代はとっくにすぎてるんじゃないかっておもう、かろうじてなんとか自分の人生に読点をうつのが関の山でなんでもできるとしてもあの熱さを取り戻せる気はしないのです読点も打てなくなってきたでもちょっとこれだけは取り戻しておきます、


 

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