今村夏子作『こちらあみ子』感想

 ふと、思い出すことがある。


 たとえば、カオナシ。


 小学校の頃、友達に「面白いから見た方がいいよ!!」と言われ、家族で観に行った「千と千尋の神隠し」。それはそれは本当に怖かった、ダメだった。「大丈夫だ、この車は四駆だからな!」~豚になる両親~夜。体が半透明の「カオナシ」。そこまで見た時、ぼくは耐えられなくなって、親に連れられて映画館の座席を立った。


 その日以来、「カオナシ」がぼくの生活に陰を指すようになる。トイレの扉を開けて用を足した。鏡は極力見ないようにした。布団を頭まで被って寝た。暗闇はすぐさま照らした。目をつむるのを極力避けた。


 たとえば、自分。


 小学校に上がる前、だったと思う。母親に泣きついたことがある。「どうして自分はみることができないの?」


 この二つとも、大人になっ(てしまっ)た僕にはある程度の理由を付けることができる。それっぽく説明を加えることができる。でも、その言葉で、あの時の恐怖をすべて、まるっと、十全に、言語化できたとは思えない。言葉によって表現されたものは、その気持ち、出来事全部であることはありえず、それらの一部分を切り取ったものにすぎない。


 そして、一度言葉にしてしまったものは(語/騙ってしまったものは)、取り返しがつかないことが多い。全体の3割ぐらいしか表せていないものをすべてだと、ぼくは思い込んでしまっている。失われてしまったあの時の気持ちを、ぼくは一生取り戻すことはできないだろう。


 たとえば、あみ子。


 定位置に着き、ひと粒ずつ前歯ではがすようにして、甘いとうもろこしをむしりむしりと食べていると、ふと生徒のひとりがこちらを見ているのに気がついた。その男の子は、筆を握ったままの姿勢で静止していて、とうもろこしを食べるあみ子を丸い大きな瞳でじっと見ていた。ほんのわずかに開けられたガラス戸がカタカタきしみ、網戸から入りこむ夕方の弱い風が西日できらめく男の子の前髪をさらさら揺らした。くちゃ、と黄色い粒を嚙む音だけがあみ子の耳の奥で大きく響いた。

――「こちらあみ子」18ページより


 あみ子の「一途」のはじまり。それを言葉で矮小化させれば、恋であり、愛であり、憧れであり、快であり。そのすべてが正しくて、また正しくない。「くちゃ」という音が耳の奥に大きく響いたその瞬間、夕方の風が男の子の前髪を揺らした瞬間、その一瞬の永遠性をすべて言葉にすることはできない。


 あみ子を、これ以上ないってくらい悲惨な立場にいるあみ子を、日々安穏と過ごしている僕たちがなぜか「うらやましい」と感じてしまうのは、言葉にする前の、未分化な感情の赴くままに行動しているからではなかろうか。それは、言葉に囚われた僕らからすれば”自由”に見える。そして、そのように振る舞うことは、僕たちが成長していく中で言葉に感情を押し込めることで、不可能になったことなのだろう。


 そんなあみ子も終盤、言葉に囚われ始める。いや、言葉を変えよう。成長し始める。


「好きじゃ」
「殺す」
「のり君好きじゃ」
「殺す」は、全然だめだった。どこにも命中しなかった。破壊力を持つのはあみ子の言葉だけだった。あみ子の言葉がのり君をうち、同じようにあみ子の言葉だけがあみ子をうった。好きじゃ、と叫ぶ度に、あみ子のこころは容赦なく砕けた。好きじゃ、好きじゃ、好きじゃすきじゃす、のり君が目玉を真っ赤に煮えたぎらせながら、こぶしで顔面を殴ってくれたとき、あみ子はようやく一息つく思いだった。

――「こちらあみ子」103ページより


「好きじゃ」の言葉で砕けたこころは、あの永遠性だ。「好き」という言葉に閉じ込められ、あの瞬間の永遠性は崩れ去った。


だけどもう決めたのだ。あみ子は知ることにした。

――「こちらあみ子」116ページより


 あみ子もなにかを失うことに決めたのだ。


 あのトランシーバーは、こちら側への通信機器であるとともに、こちら側へと渡る通路であるような気がしてならない。「こちらあみ子、こちらあみ子、応答せよ、こちらあみ子」「こちら〇〇、こちら〇〇、応答せよ、こちら〇〇」無数の問いかけが今この瞬間にもどこかしこで聴こえる。あみ子にとっての「田中先輩」のように、ぼくにとっての母親のように、その声の受け取り手はいる。


 そのことを、「希望」ということばにはたして押し込めていいものか、ぼくはとても悩んでいる。

あみ子は、少し風変わりな女の子。優しい父、一緒に登下校してくれる兄、書道教室の先生でお腹には赤ちゃんがいる母、憧れの同級生ののり君。純粋なあみ子の行動が、周囲の人々を否応なしに変えていく過程を少女の無垢な視線で鮮やかに描き、独自の世界を示した、第26回太宰治賞、第24回三島由紀夫賞受賞の異才のデビュー作。


以下、表題作書き出し。

 スコップと丸めたビニル袋を手に持って、あみ子は勝手口の戸を開けた。ここ何日かは深夜に雨が降ることが多かった。雨が降った翌日は、足の裏を地面から引きはがすようにしてあるかなければならないほどぬかるみがひどかった表の庭に通じる道も、昨日丸一日の快晴のおかげで今朝は突っかけたサンダルがなんの抵抗も受けずに前へと進む。


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