吉上亮作「未明の晩餐」(早川書房編集部編『伊藤計劃トリビュート』より)感想

 こんな日は外に出かけて、書店により、うちに戻って、本の中に引きこもるのが良い。いろんなことを上書きしてくれる。そんなわけで、早川書房編集部編『伊藤計劃トリビュート』4作目、吉上亮作『未明の晩餐』まで到達した。ちなみに、3作目柴田勝家作『南十字星(クルス・デル・スール)』と8作目、長谷敏司作『怠惰の大罪』はそれぞれ、長篇の冒頭部分の掲載ということで、感想を書くことは省こうと思う。全部読んでから、抱いた感想をしっかりと書きたいという判断。


 では、『未明の晩餐』の書き出しから。


 予想外に仕事が長引いたせいで、勤務先の列車を降りたときには、日の出が近い四時二三分になっていた。いつもより随分と遅い。
 東京駅二八番線の地下ホームに大型キャリーケースを二つばかり、どかっと置いて、白んでいく空を見つめた。ほうほうと山鳩らしき鳥の鳴き声が聞こえる。すでに駅の市場(マルシェ)に人が集まり始めている時間だ。
 思わず、溜息をついた。深く、長く。まだ肌寒くコートを手放せないが、吐いた息は白くならない。気温は徐々に上がっている。春は近い。


 人口の飽和と地球温暖化の進行により、大規模な飢饉が起こった後の世界。海面上昇に合わせた新しい鉄道を敷設した結果、旧鉄道の残骸がスラムとしてあぶれ者たちがたむろする廃墟都市、〈サカイ〉が形成された。その〈サカイ〉で暮らす料理人の主人公が、仕事として、死刑囚の最後の晩餐を振る舞うという設定。何の悔いもなく、食事によって死を受け入れさせることを目標として料理を振る舞う。料理人は何を思い、感じながら、料理を提供するのか。


 作者の吉上亮さんの作品は『パンツァークラウン フェイセズ』シリーズとノイタミナアニメ「PSYCHO-PASS サイコパス」の周辺を描くノベライズ『PSYCHO-PASS ASYLUM 1』を読んだことがある(ノベライズはほかにも『PSYCHO-PASS ASYLUM2』『PSYCHO-PASS GENESIS1』『PSYCHO-PASS GENESIS2』が刊行されている)。吉上作品の登場人物たちはとにかくキャラクターが濃い。そのままアニメ化しても過剰なくらいキャラが濃いと思う。それを魅力ととるか、厨二くさいととるかは、人によって分かれるところだ。


 死ぬまでに食べたい料理であるとか、食べたら死んでもいいという料理は、あるだろうか。僕はパッとは思いつかない。もちろん今までもたくさんの美味しいものを食べてきたけれども、これからもっとおいしいものに出会えるという確信があるからだ。もっとおいしいものを、という欲求は際限がないものだと思う。そんな欲求を打ち止めするような料理は、今の僕には想像もつかない。


 料理は、本質的には無駄なことである。胃の中に入ってしまえば、すべて同じだ。でも、僕たちには舌という味を感じる器官をはじめ、食材を’’味わう’’ための機能が備わっている。おいしいものを。その次は、美しいものを。五感をすべて用いて人間の欲求を満たすために。それを十分すぎるほど追及できるのが今現在の飽食の時代。そこから、地球温暖化による飢餓の煽りを受けた作品中の時代は料理はどのようなものへと変化していくのか。


 その変化の片鱗がほんのちょっと示されるが、それに抗う料理人の凛々しい態度が、とても美しい。かっこいい。


 料理をするって何だろう。料理を提供するってどういうことだろう。そんなことをちょっと思いながら、お昼ご飯を買いに行く準備をしました。


 

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