働き始めて早7カ月。もうそんな経ったの?という気持ちとまだそれしか経ってないの?という気持ちと。仕事って大変、と思うことのほとんどは人間関係だ。もちろん、業務自体を手を抜いているというわけではないけれど、仕事して疲れた~、酒のみてー、タバコ吸いて―、となるのは、主に職場の人間関係からくる気疲れだ。
そう、「仕事」にではなく、「人間」に疲れている。
その原因は「同調圧力」とか「空気を読む」とかなのかもしれない。
以下、『スタッキング可能』のあらすじと冒頭引用です。
5階A田、6階B野、4階C川、7階D山、10階E木……似ているけれどどこか違う人々が各フロアで働いているオフィスビル――女とは、男とは、会社とは、家族とは……同調圧力に溢れる社会で、それぞれの『武器』を手に不条理と戦う『わたしたち』を描いた、著者初の小説集。
「あなた、先ほどから私たちが今いる給湯室の、社員たちが各自持ち寄ったカップをてんでに置いている流しの横のスペースを落ち着けなげに見つめてらっしゃるようにお見受けしましたが、そこに何があるというんですか?」
「な、なんのことやらさっぱりわからん」
――『スタッキング可能』9ページより
「こんなにみんな同じだと思わなかった」 繰り返されるこのセリフは自己言及的(?)だ。このセリフを吐くA山、D山、B山。そう、この作品の登場人物は他人をよく観察し、心の中で「いや、そうじゃないだろ」「気持ち悪い」とツッコミを入れ続けている人しかいない。「こんなにみんな同じだと思わなかった」のセリフは端的にそのことを表しているように思える。しかし、登場人物たちの名前は、固有名詞でない。A山、D山、B山。ほかにE村、C川、F野etc……。アルファベットで簡単に表されているこいつらは、簡単にだれでも代入できてしまう存在に過ぎない。
だれもが感じる同調圧力への不満。そう、みんなが同調圧力に、空気を読むことに、辟易しているのだ。だけど、周りの人間たちはこの「わたし」に同調を強いる。だから、「わたし」だけが同調圧力に抗しているように錯覚する。でも、それはみんなが思っていることなのだ。
そういう意味じゃ、この小説は絶望的だ。どうせ「わたし」と「あなた」は取り換えが可能なのだから。どんなに周囲の同調圧力、空気に抗していると自分が思っていようが、それすらも「あなた」もやっていることなのだから。私だけは違う、とみんな思っており、だから「わたし」と「あなた」は同じなのだ。
C田は新卒で入った会社で配属された部署のチームリーダーがどでかい毛むくじゃらの生き物だったので驚いた。(中略)
しかし、何より問題なのはC田には、チームリーダーが何を言っているのか一言も理解できないことだった。
特に研修の時には本当に参った。つらかった。獣の言葉で研修されても困る。普通に困る。どう考えても困る。
――21ページ~23ページより
社会人になりたての頃、D山は仕事が簡単でびっくりしたのだ。(中略)
全然違った。仕事は誰にでもできることだった。ちょっと覚えれば、慣れれば、ちょっと突き詰めれば、仕事なんて造作なかった。続ける意志をほんのちょっと持てばよかった。
――51ページより
しかし、しかしである。「わたし」は「あなた」と同じで、取り換え可能で、特別なんかじゃなくても、「わたし」は「わたし」であり、それを保つことはすなわち「戦い」なのだ。それぞれにちっぽけな武器を持って。それは「シーザーサラダを取り分けないこと」であったり、「コージーミステリ」であったり、「ジョジョの奇妙な冒険」だったり、「好きなスカートに好きな靴に好きなバックに好きなポーチに好きなリップ」であったり。
そして、そんな「わたし」の中に「みんな」を積み上げることによって、スタッキングすることによって、
きっと消えない『わたし』が残る。消せない『わたし』がそこに残る。
――92ページより
それはとても地味な戦術なのかもしれない。でも大丈夫だと思う。
頭の中にあるデスノートに名前を書き続けてみせる。だって誰かがおかしいと思ったから、いろんな場所でいろんな人が同じように思ったから、声に出した人だけじゃなくて、声に出せなかったとしても思い続けた人がいたから、たくさんいたから、たった二〇年ぐらいでこんなに違うんでしょ。だから思い続ける。
――91ページより
「わたし」は『わたし』であるために取り換え可能な「あなた」をスタッキングする。積み上げる。そして中指を突き立て思い続ける。これはもう戦争なのだ。「わたし」と「あなた」の。
「わたし」は負けない。ここに声高に宣誓する。
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