酉島伝法作『皆勤の徒』感想

 圧倒的なものと対峙すると、声が出なくなる。そんな経験は誰しもあるだろう。それは感動であったり、高揚感であったり、もしくは敗北感だったりすることもある。本に限れば、僕はそんな経験が多くある。脳内に広がる世界に、登場人物の強さに圧倒されてしまうのだ。そんな中でも、この『皆勤の徒』はずば抜けて放心してしまった。以下あらすじ引用。


高さ100メートルの巨大な鉄柱が支える小さな甲板の上に’’会社’’は建っていた。異様な有機生命体を素材に商品を手作りする。雇用主である社長は’’人間’’と呼ばれる不定形の大型生物だ。甲板上とそれを取り巻く泥土の海だけが語り手の世界であり、そして日々の勤めは平穏ではない――第2回創元SF短編賞受賞の表題作にはじまる全4編。奇怪な造語に彩られた異形の未来が読者の前に立ち現れる。日本SF大賞受賞作、待望の文庫化。


 そして、表題作の書き出し。


 書き出しはどの一日からでもかまわない。寝覚めから始まるのも説話上の都合にすぎない。ただ、今日は少しばかり普段より遅れていた。
 海上から百米(メートル)の位置にある錆びた甲板の縁に、涙滴形の閨胞(けいほう)が並んでへばりついていた。閨胞からは萎えて節くれだった下肢がぶらさがっている。
 殆どが干涸らびていたが、並びの右端にある閨胞だけは熟れた無花果の膨らみを保っていた。その頂に隆起した筋肉質の搾門(さくもん)から、従業者のやや間延びした頭が芽吹きだした。内膜に繁る繊舌(せんぜつ)に送り出され、痩せた裸身が分泌液の糸を引いて、搾門の輪からづるりと甲板上に吐き出される。
 従業者の名は、グョヴレウウンンといった。彼自身はそう呼ばれていることを知らなかったが、職場には自立歩行できる隷重類(れいちょうるい)が他にいないので、困ることはなかった。(括弧内執筆者注)


 ……なんだこの気持ち悪さは。文字だけでこんなにもヌチョヌチョクチャクチャな感じが出せるとは知りませんでした。しかもこれは序の口にすぎず、どんどんヌチャヌチャグチョグチョの世界へ誘われていく。嘔吐感を催すような表現(「嘔吐ミール」とか)も出てくるので、あんまり細部まで想像してしまうと、トイレに直行することになるかもしれません。


 おどかしていても仕方がない。このような気持ち悪さを表現できる筆致もさることながら、あらすじにもある「造語」の類もこの作品の特徴といえる。その造語こそが作者が表現したい世界を適切に表現するための装置になっている。


 見えるところから行くと、書き出しにある「隷重類」。これは書き間違いなどではない。勿論「霊長類」をもじったものだろうが、その「れいちょうるい」という音から想起されるイメージ(「霊長類」と言うイメージ)と「隷重類」という字面から想起されるイメージ(奴隷?類?)が重なり合い、まったく新しいイメージを読者に与える。その新しいイメージこそがこの『皆勤の徒』が描く世界のイメージの基盤なのだ。


 このような既存の言葉をもじった造語は他にも「製臓物(せいぞうぶつ)」「冥棘(めいし)」「食餌(しょくじ)」「巳針(みしん)」「羹拓(かんたく)」「素形(すがた)」「塵造物(じんぞうぶつ)」「死願者(しがんしゃ)」etc...こういったいわゆるダジャレのようなものは面白いが、興を削ぐようなことが多い。しかし、『皆勤の徒』では、これらの造語(当て字)は先述したとおり、その世界観の基盤となる。悪ふざけのような言葉遊びもその世界では普通の言葉としての強度を持っている。


 また、まったく新しい造語の数々もたくさん。むしろこちらの方が多い。「冥勃(めいぼつ)」だとか「大塵禍(だいじんか)」、「言媒殻(ごんばいかく)」などなど。また、生物もたくさん。物語的に一番重要な生物は「百々似(ももんじ)」であるが、「屠流々(とるる)」「皿菅(けっかんもどき)」などなど、他にもたくさん(漢字表記が難しく、なかなか表示できない文字もあり、あまり紹介できず)。すべてその世界に息づく場所、出来事、技術、生物である。これらの造語たちによって、読者は自分の暮らす世界(直線的で定形の物であふれる世界)と物語の世界(不安定で不定形の物であふれる世界)の乖離を埋める装置として働いているだろう。


 このようにして描かれる世界は現代と全く違う世界であるが、これは紛れもなくSFであることを忘れてはならない。ここで描かれる世界は現代と地続きの未来なのだ。表題作の「皆勤の徒」では、引用したように、現代的なモチーフはほとんど出現しないが、そんな中でも、


 ああ、セスナを何機も孕ませた旅客機が育っている。耐塵地区のはずなのに。汎材もなく変成塵機があそこまで賦活するとは。一号線も配管や車輛の異常繁殖のせいでもう通れない。


というように突然「セスナ」や「配管」「車輛」といった定形の物体が出現する場面がある。「孕ませた」とか「異常繁殖」とか、似つかわしくない言葉が使われているけれども。繁殖のしないはずの無機物がまるで生物のように表現されているこの文章は、もともとのヌチャヌチャグチョグチョの世界観とマッチし、非常に不気味だ。


 表題作「皆勤の徒」は一読しただけでは全然理解できない。ほか3編と断章として挿入されている話がその世界を取り巻く周辺として描かれ、直接的な説明はないものの、「皆勤の徒」の世界の全容が分かっていく仕組みだ。分からないながらも読み進め、「百々似隊商」までよんで、「皆勤の徒」を再読すると、本当に震える。アイデアの奔流とそれらの強度の高さに圧倒される。


 解説で大森望さんがおっしゃっている通り、「一行一行にみっちりアイデアが詰まっている」。この本の知的好奇心のくすぐり方は尋常じゃない。知ることは快楽だ。たとえ、架空の知識だったとしても。その快楽に溺れたい人には超オススメです。ぜひ。

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