YOUTOPIAを目指して。

 近頃、時の進みが異常に早く感じる。もう八月も一週間経ったの!?!?!?的な。それはすごく切ないことで、あの、凝縮された毎日を過ごすことの出来なくなってしまったと思うともう、、、 同じように、表現された作品を読み、見て、聞いて、体験して、そして心が強くゆさぶられる事がとても減った。昔は本を読み終わりしばらく放心状態(頭の中ではその本の登場人物が動き回り、踊り回り)になることがあったが、そんな経験はここ最近、できていない。まあ、これは大人になり、物事を客観視できるようになったことの証左なんだろうけど、なぜだろう、僕はとても寂しいのです。作品世界に没頭し、作品世界から抜け出したはずの現実でもなお、作品世界に影響されていたあの頃にもどれないことが。作品を消費したなんて感覚に陥ってしまっていることが。


 だから、恥ずかしいけれど、ブログという外部装置に自分の痕跡を残しておくことにした。読み、見て、聞いて、体験して、心に残ったとその時は思うのだけれど、次の日にはその興奮を忘れていたりする。10代の自分ならそんなことはなかっただろうな。それでも、その時に感じた興奮を大事にしたい。その興奮は10代の時のそれと引けをとらないものであると主張し抗いたい。そんなわけで、やっていきたいと思っている次第。


 まあ、ぶっちゃけ周囲の人たちがやり始めていて影響されたってのもある。だから、余計に恥ずかしいのだけれども。いいきっかけをくれたと割り切りたい。ありがとう。直接は言わないが。


 ちなみに「YOUTOPIA」ってのは舞城王太郎作『キミトピア』の冒頭より。『キミトピア』の英題としてもつけられている。以下引用。


 『ユートピア』を何となく『YOUTOPIA』だと思い込んでいて、大好きなあなたと一緒にいられるのならそりゃ楽園だわなと考えていた。《君とピア》の《ピア》が何のことかは判らないけど語感は明るいしなんだか可愛いし。
 でも君は笑って指摘する。
(中略)
 どんなにバカップルのぼわーっと間の抜けた言葉に聞こえようとも、僕はキミトピアを信じていて、そこに住み着くつもりなのだ。
 わーははは。
 間違いのほうが正しい答よりも正しい場合があって、これがそうなのである。


 何と素敵な書き出し。僕は僕の「YOUTOPIA」を目指して、このブログにそれへの道筋を、痕跡を残す。残されたモラトリアム期間を有意義にするためにも。社会に出た後、立ち戻って、「YOUTOPIA」はここにもあったんだな、とか嘯くためにも。


0コメント

  • 1000 / 1000