結局は入り口と出口が同じなんてさみしくてたまらない。
要は友達が欲しいってこと。
――やくしまるえつこ×円城塔「フラグメンツのあいびき」
(『S‐Fマガジン』2016年6月号)より
寒い。今日は一段と冷え込んでいる。明日は霜が降りるらしい。もう四月も終わるというのに。
非常に滑稽なんだ、自分が。と同時に、虚しさも同居する。
四畳半からほぼ倍の新居に引っ越し、いつでも会いたい人に会える環境から引っ越し、ものが溢れていない部屋に引っ越した。昔は埋まっていた空間にはいま、寂しさが充満している。
休みの日は寂しさを纏い、本を開く。電源を付ける。そして酒をあおる。
ある友人は言う、「友情なんて続かないものなんだ」と、「一生涯の友情なんてないんだ」と。居酒屋で展開されたその論理に一緒になって「そんなことないだろ!」と否定していたはずの奴が、今まさに「友情」を終わらせようとしているその事実を前に、僕は二の句を継げないでいる。
「終わり」にするには作法がある。何はともあれ「終わり」にしてほしい。保留は、ただただ奥歯に挟まる繊維のように、不快で気持ち悪く、そしてそれが取れるまで気になり続ける。不快なものに意識を取られ続けることを強いられることほど、嫌なものはない。
一言。ただ一言。言ってくれるだけでいい。
「二度と会うことはないでしょう」
それを君の口から。君の責任において。発すればそれでいい。
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