卒えても消えない、僕の東京

 東京を離れる。それは、東京での居場所を失うということと同義だ。


 実家を中心に高校生まで生活圏内を広げてきた僕にとって、東京への進学は今までと全く違う意味を持っていた。離れてみてそう思う。


 父親がいて母親がいる、そんな家族の形を保つ実家は生活の、行動の唯一の拠点であった。まして、東京のような田舎ではないため、夜になれば街も眠る。必ず帰る場所が、そこだった。


 大学生になり、上京することになった。東京での拠点。僕の場所。家族の一員としての場所ではなく、僕のためだけの場所。そんな場所ができるようになる。


 そこが僕の場所と思えるようになるまでには、多くの辛いことがあったのは、別の話。でも、それがあったからこそ、暮らす寮、通う大学を自分の場所として、思えるようになったのだと思う。


 僕の暮らした、過ごした場所には僕が記憶として堆く積もる。特に寝食をしていた寮は顕著であろう。その記憶は形を持たない。物/者に宿る。これは避けられないことなのだ。


 今回の卒業、卒寮でその僕だけの場所を捨てた。僕の場所では僕の時間が流れ、僕の空間が出来上がる。その場所を失った今、僕が東京にいた痕跡はごくわずかなものだろう、僕の記憶は、あっさりと新しい誰かの記憶に埋まり、見えなくなってしまうだろう、そんな風に思った。


 でも、存外僕は、多くの人間に影響を与えてしまっていたらしい。自分が思っていたよりもかなり大きく。物に宿った僕の記憶はもうほとんど、東京にはない。しかし、者に宿った僕の記憶は、まだまだ東京に僕を招き入れてくれそうだ。


 ぼくは東京に出て自分の場所を作れたことをよかったと思う。


 そして。東京を離れた今も僕の場所を残してくれているみんな。

 本当にありがとう。


ごめんよ、まだ僕には帰れる所があるんだ。こんな嬉しいことはない。わかってくれるよね?ララァにはいつでも会いに行けるから。

                                 ――アムロ・レイ

そんなことを、おもいつつ。


涙を流した高速の夜。

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