31歳について、もしくは長嶋有「三十歳」感想

 見ず知らずの女に中指を立てられた。車の運転がトラウマになりそうである。自身の境遇が恵まれていたこともあり、誰かからストレートに悪意を向けられることがほとんどなかったからだ。


 向けられた瞬間は衝撃で車を運転しながらボーゼンとしており、その後怒りが湧いてきた。「ビッチ!」「クソアマ!」  しかし、口に出してみたそれらの侮蔑語はどこかふわふわしており、身体性を伴っておらずなんだか情けない感じでポトンと落っこちた。


 自身の悪感情をそのまま発生源たる人物にぶつけたりはしない。結果、そのだれかに宛てるはずだった悪意は自分に向き、それを内部で消化することで溜飲を下げる。その消化の仕方は様々だが、「なんか、おれは、今、すげーおこっているのだな」と少し冷めた視線を自分に向けることで消化できている、ような気がする。


 昔のぼくはいわゆる「キレる」ガキンチョで、父親に「ムカッときたら指を折って10数えるんだぞ」というありがたい教えをいただいていた。感情と身体表現が一致していた幸福な時代。それは社会のつまはじきものになることで唐突に(しかし予見されてはいたのだろう)終わりを迎えることになるのだが、そのいきついた先としての30代の私は、どこか、自分の感情の発露を冷めた目線で見つめ、そんな感情が発露している自分を観察しているような、「へえ、いまあなたそんなこと思ってるんだ」みたいな評価をしているような、自分を自分でないようなふうに扱っている。


 それをおそらく成長と呼ぶのだと思う。子どもたちには「メタ認知って知ってる?」って言って回っているのだから。


 27時間テレビの最後の企画、「新しいカギ」メンバーと高校生のダンスチームがタッグを組み生放送でダンスを披露する、というもの。花巻東の新設ダンス部とハナコ・岡部のダンスは、涙をさそった。その時、ぼくは「物語が秀逸だ」と思った。ダンス披露パートまでに経緯をまとめたVTRでは「高校生と岡部が一生懸命に頑張っている」姿が捉えられ、花巻東with岡部の「一生懸命に頑張っている」成果としてのダンスが生放送で披露された。アナウンサー(?)の女性が「ダンスが始まる前から泣いてましたね」とイジられていたが、物語に取り込まれたほとんどの視聴者は始まる3カウントのところで涙を流したのではなかったか。


 ……ぼくはそんなことを考えながら涙を拭いていた。「ズルい!」とか言いながら。たぶん、その時ぼくはほんとは大泣きしたかったのだろうし、そして大泣きすればよかったのだ。ごちゃごちゃ考えず心のままに。


 濡れながら家に帰ると暗い部屋の中で留守番電話の着信ランプが点滅していた。着信が二件。安藤の声がする。
「短い間だったけど、もう会えません。ごめんなさい。あのレコード、みつかったみたいで本当によかったすね」と悪びれない声で入っている。
 ピアノの椅子に腰をおろす。二件目は姉からだった。

「今日、母さんがあなたの名前を呼んだよ」と、少し興奮した声で入っている。がちゃ、と受話器の置かれる音がするまでじっとしていた。それから蓋の歯形をそっとさすってみた。譜面台にはレコードが置かれている。窓際までいき外をみると雨は本降りになりはじめていた。もう次の台風が近づいているらしい。

 道路には誰もおらず、道路の向こうの駅にはちょうどやってきた電車が停車しようと速度をゆるめているのがみえる。窓を開けて、自動販売機の明かりが濡れはじめた路上を照らしているのをみているうちに秋子は急に思い立ち、あーっと声を出してみた。

 それから、自分でも信じられないほどの大きな声で叫んだ。声が出尽くすと、また息を吸って、金切り声をだした。声を振り絞ると体がびりびりと震えるのが分かった。手をにぎられて、目と耳が熱くなった瞬間に似ていると思った。はずみで目から涙がぽろぽろと出てきたが、気にせずに叫んだ。悲しいのだから、涙はでてもいいのだ、と秋子は思った。

 停車していた電車が動き出した。駅の改札から出てきた何人かの人が、傘を広げ、あるいは小走りで秋子が叫びつづける真下の道を通りすぎる。

――長嶋有「三十歳」(『タンノイのエジンバラ』(文春文庫 2006年)所収)


 秋子は30歳。定職にもつかず、元ホスト(と明かされる)のバイト先の若者と何度か関係し、捨てられる。


 そもそも、秋子がピアノ講師を辞めパチンコ屋のバイトになったのは、秋子が上司のピアノ講師との不倫関係が暴かれてしまったからであり、上司の妻が自身の勤め先に乗り込んでくるいわゆる修羅場を、秋子はすごく、とてもすごく冷めた目で見ていた。


 レッスン中の教室に奥さんが泣きながら乗り込んできて「関係」は終わることになった。スポーツ中継のリプレイのように、乗り込んできた場面は今でも思い出せる。そのときの自分の顔さえ見えるように思う。秋子はそのとき自分がほっとした顔をしていたような気が、なぜかするのだ。


 30歳。自分自身の感情すら、観察対象に成り下がってしまうような、賢しらな年齢なのかもしれない。


 でも秋子は大声で叫んで号泣した。「悲しいのだから、涙はでてもいいのだ」。だからぼくも、感情にもっと身を委ねることを恐れすぎなくてもよいのだ、と。


 感情と身体動作が一致していたガキの時の自分の極から、自身の感情を観察対象とすることで価値を貶めている30歳の自分の極へと、ぼくは順調に「成長」することができた。だからこれからは、その極と極の間のグラデーションの中で生きたい。自分の感情を観察しながらも、ある程度はその感情に身を委ね目の前の事象にノッていくこと。


 31歳になりました。これからもよろしくお願いいたします。

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