あけましておめでとうございます。2016年、がんばっていきまっしょー!
さて、新年しょっぱな取り上げるのは、映画「ストレイト・アウタ・コンプトン」。3分に一回は「Fuck!」と聞こえてくる、そんな映画。以下公式サイトからあらすじを引用。
1986年、アメリカ屈指の危険な街、カリフォルニア州コンプトン。
ここでは、ギャングたちの抗争激化と麻薬売買の横行を口実にロサンゼルス警察が罪のない黒人住民を手当たり次第に摘発していた。そんな現状を変えようと立ち上がった若者たちがいた。
イージー・Eはロサンゼルス一帯で勃興しつつあったヒップホップ・カルチャーに未来を見出し、ドラッグ業から足を洗って音楽ビジネスを目指していた。そんな彼が出会ったのが、DJとして活動するドクター・ドレーと作詞ノートを手放さないティーンエイジャ―のアイス・キューブ。イージー・Eのカリスマ性に引き寄せられるように、DJイェラやMCレンも加わり、ストリート溌のラップ・グループ、N.W.A(Niggaz Wit Attitudes=主張する黒人たち)が結成される。
わてくし、無知でして、N.W.Aという社会現象になったラップグループを知らないでいて、恥ずかしい限りであります。なんでそんな僕がこの映画を見たのかというと、友達の映画見に行くというのに強行し、一緒に見たためです。こう、無理矢理友達の予定に自分を突っ込むとこんなような素晴らしい出会いがあるからやめられない(迷惑)。
とにかく、ファッキンカッコイイ。それに尽きる。厨房の僕が邦ロックではなく、ラップをはじめに聞いていたら確実にラップに傾倒していたことだろう。それぐらい男を惹きつけるものがある。そのカッコよさはドラッグみたいに危険だった。
N.W.A結成から解散、再結成へとイージー・Eが奮闘するもエイズで倒れるまでを描く。いわば、ドキュメンタリーなのだが、N.W.Aを知らない僕でもドキドキしながら見ることができたということは、物語としてもかなりの完成度を誇っているということだろう。ラップ文化を知っている人も、そして知らない人にもおススメすることができる、そんな映画だ。
N.W.Aのメンバーたちの悲喜こもごもがすごく見えやすいのは、N.W.Aの周辺の人物も精緻に造形されているからだろう。実際にいた人物たちだろうが、N.W.Aの人物たちが引き立つ要素を大きく引き出していたように思える。N.W.Aの白人マネージャー、ジェリーやドクター・ドレーとともに新レーベルデス・ロウを立ち上げた元ボディガード、シュグ。いってしまえば彼らはN.W.Aのメンバーにとって悪影響を及ぼす人物なのだが、完全に悪といえないところがある。特にジェリーの最後の登場場面の凋落ぶりはとても悲しくなった。警官に「黒人にも人権があるだろう!!」と怒鳴りN.W.Aのメンバーを守った場面が、イージー・Eに裏切られた最後の登場場面を見る時、脳内にちらつく。
アメリカで社会現象にまでなったのは白人と黒人の厳格な差が日常にまで根付いていたからだろう。日本じゃあの鬼気迫る感じや切実さは生まれない。
この映画を見た時ほど英語が理解できたらと思ったことはない。訳だとどんなことをいっているかはわかるけど、韻の踏み方やリリックの素晴らしさは英語が分からないととんとわからない。英語ができない自分を恨むしかありません。
帰り道、自分が強くなったような気がして、新宿の街の道の中央をがに股で歩きました。
0コメント