2016年は本当に映画が豊作。豊作すぎて幸せ。たぶん今年僕が見る最後の映画は「この世界の片隅に」になりました。
前評判に違わぬ良い映画でした。以下、つらつらと感想を。「君の名は。」のように、ネタバレが魅力を決定的に削ぐような映画ではないですが、結末部分に触れますので一応ご注意ください。
この映画はいわゆる「戦争映画」と呼ばれるものであります。ぼくは(不謹慎と罵られそうですが)この「戦争物」が苦手でした。小学校のころから図書館へは足繫く通っていたのですが、『はだしのゲン』や『火垂るの墓』には手が伸びませんでしたし、少し成長しておっきくなっても、戦争映画とか、終戦記念日に必ず放送する特別番組も進んで見ることを避けていたように思えます。
その理由はいくらでも付けることができそうですが、ここでは敢えて理由をつけてそんな自分を認めてやろうとは思いません。子供ながらの忌避感をここでは大事にしておきたい。そして、この年になって「戦争映画」を見ることができるようになって、「大人になったなあ」と思うのです。
さて、片渕須直監督は劇場パンフレットのインタビューで本作品について、
これ(引用者注:映画「この世界の片隅に」を指す)は「浦野すず」という少女が「北条すず」という女性に変えられながら、自分を取り戻していく物語なのだと思えば、(後略)
――「片渕須直監督・脚本 インタビュー」(「この世界の片隅に」劇場パンフレット)より
と語っています。「浦野」から「北条」へ、「少女」から「女性」へ、というすずさんへの眼差しは映画を観れば感得できるところでありましょう。さらに、「広島」から「呉」へ、という(僕のどうしても注目してしまう)「場所」の移動も、付言すれば(門外漢なので、語れるところはかなり少ないですが)「方言」も注目することができると思います。
上に挙げた要素も取り上げつつ、僕が今回書きたいなと思ったのは、すずさんの”右手”についてです。
すずさんの”右手”は、言うまでもなくいろいろな意味が込められているといってもいいでしょう。得たものであり失ったものであり。なので、この”右手”について、少し考えてみたいと思っています。
すずさんの幼少時代から特徴的に描かれているのは、絵を「描く」動作です。アニメーションにおいて何かを「描く(書く)」場面を表現することが、非常に難しいとどこかで聞いたことがあります。それをわざわざ盛り込んだのはなぜか。それだけ、すずさんの”右手”から織り成される絵(物語)が重要であることの証左だと思われます。
後の旦那になる周作との出会いを描いた「ばけもん」の話、そして哲に描いてやった「綺麗でも何でもない」海の絵(個人的にはこの場面が一番好きです)、呉へ旅立つその前に写生した広島の様子。全てがすずさんが”そこ”にいたことの証であり、誰か(何か)と繋がっていることの予感であり。いわばすずさんはその”右手”で自らの痕跡を残していたのではないでしょうか。作中なんども強調されるすずさんの「ぼんやり」「鈍くささ」の代わりに、彼女の”右手”が雄弁に彼女自身を語っていたと言えるでしょう。
呉に嫁ぎ、絵を描く描写は激減しましたが、”右手”の描写は健在しています。序盤ほど目立つ形ではないものの、生活をするための”右手”として。草を摘んだり、料理を作ったり、針仕事をしたり。そして、だれかと手を繋ぐために。一番”右手”で手を繋いでいた相手は旦那の周作ではなく、お義姉さん(径子)の娘、晴美でした。
たくさん身辺の人物が死んでいく中で、もっとも起伏を激しく描かれている死は、晴美の死でした(他の死がむしろたんたんとしすぎていることは指摘しておいてもいいでしょう)。”右手”で握っていながらにして、晴美を目の前で亡くしてしまったこと。晴美に”右手”で作ってあげた巾着袋が血で汚れてしまっていること。そして、すずさん自体が”右手”を失ってしまったこと。径子に「人殺し!」と罵倒され、罪悪感に苛まれながら床で、すずさんは失った”右手”について思索を巡らします。
すずさんの口より目より、雄弁にすずさんを語ってきた”右手”を失ったのです。いわば、自身の半身を失ったも当然だったのではないでしょうか。「左手で握っていれば、、、」という晴美への悔恨は、その半身としての”右手”への不信と見るのはやりすぎでしょうか。
その”右手”を埋め合わせることは呉ではできない、なぜなら、この土地ではいつでも誰かのための”右手”であり、その”右手”と一緒に守るべき人を守れなかったから――
この思いは、何度目かの空襲の最中、庭に一羽の鷺が降り立ったことで爆発します。間一髪周作に助けられたものの、すずさんの貴重品の入った(周作をこの場所で待っていると誓った似顔絵が入った)巾着袋は、米軍の機関銃によって粉々になってしまいます。
こうして失われた半身=”右手”はしかし、新たなつながりを生みます。広島で拾った孤児の女の子は、すずさんの”右手”が無かったからこそ、ハッとしたのです。すずさんは、右手を失いながらも我が子を守った孤児の母親の代わりに、その子を守ることに決めたのでした。その子はすずさんにとって、新たな絵(思い出)を織り成す”右手”となっていくでしょう。
そのシラミまみれの孤児をおぶりながら呉へと帰り、山腹に光る家々の明かりを周作と三人で見つめていた時、すずさんは「三浦の少女」から「北条の女性」に立派に変身しながらもしっかりと「自分」を取り戻しているように思えました。
かつて”右手”で紡いでいた想像(創造)を終盤、すずさんは取り戻します。哲さんを、哲さんが乗っていた/晴美のひたすら見たがっていた巡洋艦「青葉」を、周作と出会ったきっかけの「ばけもん」を、そして座敷童を。
だから、すずさんはもう、大丈夫。
悲しくてやりきれなくても、大丈夫。
戦争さえも日常なのだ、という観点からは、しの(@mouse15278)さんが丹念にこちらに書かれておられます。
合わせてどうぞ!
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