「オルフェン(Orphan)」とは、「孤児」を意味するらしい。「機動戦士ガンダム」のシリーズを名に冠するなら、「オルフェンズ」が主人公となるのは、現代と地続きの未来を舞台としたとき、当然の帰結だろう。
原点であるいわゆる「宇宙世紀(Universal Century:U.C.)」が舞台の「ガンダム」シリーズは、全て「大人に翻弄される子ども」の物語だ。ニュータイプとオールドタイプの対比然り。歴代の主人公たち(アムロ・レイ、カミーユ・ビダン、ジュドー・アーシタなど)然り。強化人間たち(ララァ・スン、フォウ・ムラサメ、エルピー・プルなど)然り。大人の都合で顎で使われる子どもたちが物語を駆動している。
そのように考えた時、そしてこの時代(2010年代)に「ガンダム」を放送すると考えた時、「孤児」を中心にするほかなかったことは想像に難くない。そして、それは成功しているように思える。
三日月の「家族」思想の裏返しの残酷さ、オルガの「目指すべき場所」の不明瞭さなど、言及しないといけない部分が「機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ」には多々あるものの、ここでは第30話「アーブラウ防衛軍発足式典」、第31話「無音の戦争」、第32話「友よ」、第33話「火星の王」について。
オルガ・イツカ率いる鉄華団は順調に業績を上げ、火星だけではなく地球にも支部を持つようになっていた。そこに配属されたタカキ・ウノとヒューマンデブリ出身のアストン・アルトランドに主眼が当てられたお話である。
第31話のタイトル「無音の戦争」にも示されているように、ここでタカキは誰のために戦っているのか、なんのために戦っているのか、そしてなぜ戦っているのか、それが全くわからないまま戦う。それでも自問しながら部隊長として足掻く。
それを支えるのがヒューマンデブリ出身のアストンであって、タカキの親友である。「タカキは俺が守る」のセリフに象徴されるようにヒューマンデブリっぽくタカキを守るのだ(アストンが自分はヒューマンデブリだから、と呟くたび、タカキは怒るのだが)。
しかし、この「無音の戦争」は髭のおじさん、ガラン・モッサによって仕掛けられた罠だった。ガラン・モッサの「あいつらは獣だ」との言葉からも分かる通り、「子どもを顎で使う大人」を分かりやすく体現している。こいつに翻弄され、鉄華団地球支部は少しずつ壊れていく、、、
結局アストンは「お前と出会わなければよかった(そうすれば悲しくなかったのに)」とタカキの前で呟き死んでしまう。
ここの場面がすごくつらくて、すごくオーバーラップするのは第1期の昭弘と弟の昌弘の戦闘シーン。アストンの死に方、助けようとするタカキの構図が昌弘と昭弘のそれとそっくり。そして、両方ともヒューマンデブリが話の中心。
「翻弄される子どもたち」という主題で「ガンダム」を見るならば、この第30話から第33話はより「ガンダム」に近い気がする。三日月とオルガの二人は歴代ガンダムの主人公たちと比べて、強い。そして、上昇志向がある。翻弄されまいという意志がある。だから、「ガンダム」シリーズの中でもかなり異質なのだが、タカキ、アストンの話はかなり「ガンダム」っぽい。
アストンという親友を失い、ガラン・モッサと通じていた鉄華団の大人ラディーチェを自らの手でけじめをつけたタカキ。その手は汚れてしまった。愛する妹フウカの待つ家へ久方ぶりに帰ることができるようになるが、そのフウカの頭を撫でることも、抱きつくフウカに抱き返すこともできない。
その描かれる「手」が非常に印象的だった。
さて、オルガを家父長とする「鉄華団」。そこではオルガの指令が命令が指示が絶対だ。「火星の王」を目指すと宣言した時、「難しいことはわかんねえけど、オルガが言うならついていくぜ」とほとんどのメンバーが思考停止的に首肯する。
鉄華団は「オルフェンズ」のオルガを父とする「家族」なのだ、紛れもなく。しかし、エディプス・コンプレックスなどに代表されるように、家父長は乗り越えられなければならないものだ。反抗期とかを思い浮かべるとよいかもしれない。
そして、今回、タカキは父に「反抗」をした。鉄華団を抜けるという「反抗」を。自分で一つを初めて選択したのである。選択という話は、クーデリアがタカキを励ますためにした話の中でされており、いろいろ知らなければならない、と言っていた。
自分で選択したタカキと、父であるオルガを妄信的についていく鉄華団の他のメンバー。この違いは鉄華団の行く先に、暗い影を落としていっていくように思える。
蒔苗の「君たちの行く先には何があるのかね?」のセリフは重い。「思ったより遠いなあ」という無邪気な三日月の言葉と。
鉄華団という家族はこの先どう変わっていくのか、どう変わらざるを得ないのか。そのことを考える上で、タカキの反抗(脱退)は大きな意味を持つように思える。
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